ビオトープ

月曜朝三毛金魚が死んでた・・・。これで2匹目。残り赤14匹三毛4匹。
基本的に餌はまったくやってないのだが、心配になってwebで検索したところ、やはりそれでいいようだ。プランクトンや藻やボウフラを勝手に食うとな。池は2m×1m×1mぐらいの体積があるので過密ということはあるまい。(死金魚がでるたびに「飢えさせすぎたか」と心配になり餌(いちおう市販のを買ってある)をやったりと中途半端だったが、むしろ金魚の様子がおかしかったらまず絶食とな。)
水草は、最初に買った沈して死んだと思ってた蓮が底からのびてきたのは前回書いたが、次に買った購入時こぶし大だったやつは、水面上50cm四方ぐらいに増殖している。その後に買った花が咲くやつはあまり広がってはいないが、着実に根付いている。で、もうちょっと水面を植物が覆ってる方がいいかもということで、浮草を買いたいんだが、ホームセンターには売ってなかったんだよなー。

ところでwebで検索したらついでに出てきたんだが、こういうほったらかし池というのは、ビオトープというのに近いようですな。(←最近小中学校にビオトープ造るのが流行ってるようでそういうのはいい傾向だと思う。僕も昔子供の頃「人間が手をかけない自律的なアクアリウムのすすめ」みたいのを読んで憧れてたのが現在のマイ池ブームの遠因となっている。最近の子は学校で楽しめるのがうらやましい。←教条的に「金魚は自然じゃないからダメ」とかいうのはどうかと思うが。赤いから動きがよく見えて、見てて楽しいですよ、金魚。小学生にはいいと思うけど。)
学校や個人でのビオトープ(等)創成顛末記はどれも面白かったが例えばこれ:「池と金魚」「(仮称)空き地改造計画報告書」「朝日東京プリンテック」「讃岐の舎づくり倶楽部」「うなぎ日記」「簡単★ビオトープ と メダカたち のページ」「マイクロビオトープ」「池の金魚が・・」
こういうのが流行るというのは、バブルの頃に比べて日本も「豊か」になってきた、という事でよろしいわね。(どっかで「ビオトープ公園を作ったら近隣住人から雑草を刈り取って欲しいと苦情が出た」とか「老人会が善意で下草刈りをするため植物が繁茂しない」とかいう事例もあったがw ←日本人って本当に自然が嫌いだよね。)

もっともおいらは「本来の自然を取り戻す」とかそういうのは興味ない。(自然ってのは本来常に変化し続けるもんだい!)ビオトープで検索して見てたらけっこう教条的なページが多くてうんざり。例えばいかにもテレビ屋さんらしい浅薄なこれ:

正確な保護の仕方って知っていますか? メダカはメダカでもその土地ごとに違うのです、遺伝子レベルで・・・・・。 だから、数を増やすために放流をするにもその土地で育ったものじゃないとダメなのです。 見た目では全く分からないものだけど、将来的に研究した時にどこのメダカか全く分からなくなってしまうおそれが出てしまうのです。

だったらメダカのいないところでは全く見られないじゃないかって思いますよね。 そういった場合は、自然とは違う、池や水槽、ビオトープなどを作ってメダカを飼育するのがおすすめ。 昔はどこにでもいたメダカなのに、まさかこんな時代がくるとはメダカもびっくりだよ。 ちなみにメダカってたくさん種類があるって知ってました。 だけど、日本古来からいるメダカは一種類だけなんだって。

(もうちょっとだけまともな議論としてはこれ:「メダカの放流をやめよう」。)
なんで「将来的に研究した時にどこのメダカか全く分からなくなってしまう」と「ダメ」なのか。
社会の問題というのは常にトレードオフで、この学術的なデメリットと「人々がそこらでメダカを見てシアワセな気持ちになる」メリットのどっちをとるか、というのは高度に非自明な(←highly non-trivialの直訳^^;)問題でしょ。(例えば、日本だけで毎年一万人以上が自動車事故で死亡してるけど、自動車を使うメリットはそのデメリットを上回るという社会的合意があるから自動車は禁止されてないわけだ。)
他を駆逐してしまうブラックバスの放流とかは、バサー以外にはデメリットしかないから、禁止の社会的合意も得られたわけだが(※)「メダカの系統を保存する」ことの学術的価値は何を置いても優先されるほど高いんかね。それによって学問としてどれだけ普遍的な価値のある研究が出来てるの?その研究にはメダカの系統以外は使えないの?(「遺伝子の多様性を守れ」とかいう議論もあるが、むしろいろんな群がどんどん混ざった方がそれぞれの群内の遺伝子がより多様になって(将来の)環境の変化への適応力だって上がるんでないかい。←ある群が孤立して与えられた環境に適応すればするほど群内での遺伝的多様性は小さくなるよね。)

この議論もおもろかった:「保護?破壊?」。←どうも「遺伝子汚染」という言葉が独り歩きしているような印象を受けた。しま氏は「それがなぜいけないのか」が詰められていない。例えばこれ:

近い地域でも環境が著しく違う場合、その様な事も想像に難くないのですけど、逆に近くなら通常交流があるって考えるのが普通ではないでしょうか?
そして当然交配も行われている・・・その地域の先住個体より交配個体の方が環境に適していれば淘汰が行われてそちらが定着する。これが進化ですよね?
こういうのって実は頻繁に起こってることではないのでしょうか?近隣なのに交流がない!って考えるより普通だとおもうのですけど。

に対するしま氏のこの答:

仰るとおり、上記の事例は頻繁に起こっています。双方で交流しているならば、これは当然ながら同一個体群です。
マーキング調査等が行われ、2つの池の間で確実に移動していることが確認されていれば問題ありませんが、調査が行われていない場合には、結局人間が勝手に判断するしかないですよね。虫の移動距離も正確には分かっていないですし。
ですから、近隣といえども、もしかしたら交流が途絶えている可能性があるから慎重に取り扱うのか、それとも近隣だから多分交流しているだろうと推測して一緒にするかどうかの違いです。遺伝子レベルで見るならば、根拠のない推測は危険です。

原理主義に陥っている。交流してないものが交流したらなぜいけないのか、それは他とトレードして守る価値があるのか、という視点がない。(下のも参照のこと。)

ちなみにこういう具体的な指摘は意味があると思う:「こんなビオトープはあかんやろ!」。←ふけ田の話恐ろしいですな。本当にザリガニが原因なら捕食者(サギとか?)を導入するしかなさそうな。。(でもむしろザリガニばっかりになったのは原因じゃなくて結果であって、造園業者が農薬撒いたんじゃないか、という気もする。どっちにしろ酷い話だけど。)





(※)但しこういう非常に説得力のある(自然保護推進の立場からの)反論もある:

 繰り返しますが、琵琶湖本来の生態系とは魚種構成のことではなく、水生植物を含む全ての生物種構成のことです。 そのことを考えるならば、琵琶湖本来の生態系は戦後連綿として破壊され続け、現在既に存在しなくなって久しいのです。 水産学者だけでなく生物学者までもが、漁業関係者や産業を重視する滋賀県行政当局の顔色を伺う形で、過去の土木行政の責任を問うことなく、あたかも魚種構成のみが琵琶湖の生態系であるかの如く議論する様は、あきれ返るどころかむしろ滑稽ですらあります。 現在オオクチバスブルーギルが琵琶湖の魚種構成に大きな影響を与えていることは事実でしょうが、こうした外来魚が琵琶湖の魚種を絶滅させたという事実はまだありません。 しかし皇居のお濠におけるブルーギルの例を見れば、水際域を失い巨大なお濠と化した琵琶湖においても、外来魚の圧迫によって絶滅する種が生じる可能性はあります。 ここでも重要なことは水際域の存在であり、水生植物群落の存在です。 もし琵琶湖が本来の水際域と水生植物群落を保ち続けていたなら、バスとブルーギルは琵琶湖の生態系に殆ど何の影響も与えなかったでしょう。 これには根拠があります。(以下略)

ほんの一部だけ抜粋したが是非リンク先の全文を読まれたし(面白いと感じたらついでにこっちも:「自然保護講座」 ←私は必ずしもここで前提としている「公理」を受け入れるものではないが←ここでの「生命」の定義だと「固有種を優先」となるらしいが僕としては全体として遺伝子プールの多様性が維持されるのであれば「固有種の消滅」(もっといえば種の絶滅ですら) so what? だ)。上記抜粋以外にも例えば「日本の湖沼の多くが既に古来からの生態系を完全に無視しためちゃくちゃな魚種移入を経験しており、外来種による生態系の破壊という概念が既に意味を為しません」という事が具体例と共に書いてある。←漁協による「めちゃくちゃな」放流は今でも日本全国で続いている。
ここでも日本のマスコミは本当の原因から人々の目をそらさせて(ブラックバスという)スケープゴートに集中させる、といういつもの役割を果たしてるわけですな。
オマケ2chログ:「DQN駆除派の世迷言を正します!」&現存スレ(なんか廃れてるけど):「ブラックバス・外来魚総合スレッド8」