アメリカ

爺なにサッカーなんか見てんだ
アメリカンというのは「世界=アメリカ>>>合衆国の外に住まざるを得ない可哀想な人たち」という風に思ってるわけであろうからして(ワールドシリーズという呼称が象徴的だ)、アメリカがワン・オヴ・ゼムになるサッカーW杯というイヴェントは根本的に彼らの世界観と相容れないのではなかろうか。
で、冷泉彰彦さんのJMMの記事がおもろかった。一部抜粋。

外国のことを知らない。
例えば「スポーツ・イラストレイテッド」誌にスティーブ・ルーシンというライターが『正しいのは世界で、我々は間違っている』という笑えないコラムを書いていましたが、その中で「ドイツのカイザーシュラウターンで、パラグアイトリニダート・トバコと戦う、などという話を聞くと、アメリカ人には地理の試験を受けさせられるような気分になってしまう」と言っています。要するに世界とは何かが分からず、世界で戦う感覚もないということです。


サッカーは女子のスポーツだと思っている。
例えば今回大会の放映権を持っているESPN/ABC(いずれもディズニーの一部門)の、中継メインキャスターはジュディー・フォウディーという女性の元スター選手です。なぜ女性の元選手がメインキャスターになるのかというと、男性の元選手で知名度のある人物はいないからです。高校や大学などでも、女子サッカーは花形スポーツですが、男性の方はメジャーではありません。


サッカーは「秋の」子供のスポーツだと思っている。
女性に加えて、サッカーは子供のスポーツだと思われています。5歳から12歳ぐらいまで、つまり「本格的にアメリカンフットボールをやる前の年齢の運動量づくり」という位置づけでしょうか。「秋」というのは、とにかく「春」は野球、「冬」はフットボールかバスケ、と相場が決まっていて、その前に「走っておく」ためのスポーツ程度に考えられているからです。


サッカーは、金持ちのスポーツだと思われている。
アメリカのサッカーは、公営の豪華な芝生の練習場に、巨大なミニバンを運転する専業主婦に連れて来られる「金持ちの子供」のスポーツというイメージがあります。ですから、ストリートサッカーというものはありません。草の根の広がりはないのです。


アメリカンフットボールの悪影響がある。
そうした子供のサッカーで親達はどんな声援をしているのかというと、とにかくアメリカンフットボールの影響でサッカーを曲解しているムードがあるのです。まず「ガーン」とぶつからないと「詰まらない」と思われ、静的なフォーメーションを思い描いてしまうために「MFがシュートを打つのはダメ」となります。更に一つのボールを大勢の敵味方がダンゴ状態になって取り合うと「ヨーシ、プッシュだ」などと勘違いも甚だしい声援が飛ぶ、敵に突進しないでパスを回すのは「卑怯」で、ましてや後ろに回すのは「自殺行為」とまあ観客がここまで誤解しているのなら代表チームに強くなれというのがムリでしょう。


バスケやホッケーの悪影響もある。
GKがパンチで逃れた球をバスケ用語から「リバウンド」と呼ぶ人が多く、FWには「リバウンドを狙え」という訳の分からない声援が飛ぶ一方で、GKは「リバウンド」を恐れてパンチをせず、ムリにシュートを取ろうとして取れずにこぼれ球をやられる、そんなシーンも子供のサッカーでは多く見かけます。またキックオフの際にボールを回さずに、相手のDFめがけて深く打ち込んでしまい守備の起点にしても平気なのは、ホッケーの影響のようです。


くそ真面目で上品なスポーツだと思っている。
ルールで当たったらダメ、となっている以上は本当に当たってはダメだと思ったり、ヘディングは子供の脳に悪いからと高校生になるまで練習を一切させない(その結果として正しいヘディングが学べないことになります)一方で、スローイングの姿勢や、場所についてはやたらに厳格だったりするのです。


とまあ、アメリカ人がサッカーを知らない、あるいは誤解している理由はたくさんあるのですが、以上はまあ修正可能と言えば修正可能な問題です。ですが、12日のチェコ戦とその後に露呈した問題は、もっと本質的なものでした。それは動けない選手と、任せられない監督という組織の欠陥です。


まず選手の側には「自分たちの役割」という束縛があるのです。これもアメリカン・フットボールの悪影響と言えるのかもしれませんが、前述した「MFがシュートを打ってはいけない」とか「DFが上がってはいけない」という思想が典型的なものです。勿論、代表チームのメンバーは、ほとんどが欧州リーグでプレーしていますから、近代サッカーというのはもっともっとフレキシブルなものだと分かっているはずです。


ですが、アメリカ人だけで固めて国旗を背負ってしまうと、ある種「役割に閉じこもる」ような人格の小ささが出てしまうのでしょう。では、アメリカのサッカーやフットボールでは「他人の領分を犯すな」とか「持ち場を守るのが美学」というような教育をしているのかというと、それは少し違います。違うというのはもっとタチが悪いという意味です。


それは「他人の領分を犯すのは、他人を尊敬していないからだ」とか「仲間の領域に出しゃばるのは、仲間を信じていないからだ」という思考方法を叩き込まれているということなのです。MFがシュートを打つのは、サッカーの思想からすると「シュートラインが見えたら打つのが当然」であり「FWが好位置にいない、あるいは走り込めない」場合は、自分で持ち込んでも打っていいのです。


ですが、それはアメリカの「スポーツ哲学」からは「仲間を信じていない、つまり人間的に最低」となってしまうのです。その馬鹿馬鹿しいほどの「持ち場意識」が、今回のチェコ戦での敗戦として露呈してしまったのではないでしょうか。チェコの自在な攻撃と守備のスタイルの前に、何も出来ずにただただ自分の領分に閉じこもってパスを回すだけという惨めなサッカーになってしまった背景にはそれがあるのだと思います。


戦後にブルース・アリーナ監督は、そうした本質的な問題を提起したり、次戦以降に向けて選手を激励したりするどころか、記者会見で各選手を酷評するに至りました。「ドノバン(FW)は積極性ゼロ」、「ビーズリー(MF)は何もしなかった」、「ケラー(GK)は何でもいいから敵に向かってゆくべきだった」と言いたい放題です。確かにエースのドノバン選手は、この試合では1本もシュートが打てなかったのですから、ファンが怒るのは分かります。


でも、監督が感情的になっても何にもならないでしょう。GK批判に至っては「ディフェンスラインが破られたらGKは飛び出して敵と一対一を挑むのが男だ」という、これまたアメリカのサッカー特有の特攻思想以外の何ものでもありません。とにかく「自分の領分を守る」行動をしがちな選手と、「結果を求めて叱咤するだけのマネジメント」、これに加えて様々な列から攻撃を仕掛けてくる敵に切り刻まれてはどうにもお手上げ、というのが実情だと思います。

つーか私のギョーカイ近辺的にはアメリカ対チェコというとやはりこの方かと:P
実はアメリカ代表、4年前けっこういいサッカーしてたから応援してたんだけど(underdog 応援の性w)残念でしたね。