ついでに「文章力」

これまた「文章力」をなおざりにしてはいかん、という結論自体には異論はないのですが・・・

 会議・ミーティングでは、わたくしどもも口角泡を飛ばして議論をするし、それはなかなかのスリルであって、議論に参加できなければ寂しい思いをするのはたしかです。でも、だ。どんな会議でも、話したことがそのまま空中に霧散することはないので、だれかが報告書にまとめるのです。それは概して若いオフィサーたちの仕事であるが、ここで文章力が試されるのですね。左だ右だ上だ下だと議論された挙句の結論を、どこからもつっつかれることない文章にまとめる能力というのは会話能力の延長にあるものではなく、どちらかというと無味乾燥と思われている文法、文章構成、修辞の知識、経験の集積ではないですか。

 正直に言いますと、この歳になってわたくしが報告書をはじめから書くということはあまりない。そういう苦労は昔たっぷりやったので、いまは若い人(つまり、部下ですが)に草稿を書かせてですね、それをナナメ読みしてそのまま上に上げる、こういうふうにラクチンをするのが理想的なのですが、現実はそうでなく、ほんとにみんな書けない。邦人職員だけではなく、英米人でさえまともな英語が書けないのです。で、仕方なくわたくしどもが筆を入れるのですが、校正をしたことがある方ならわかっていただけようが、ひとの文章を直すことくらい大変なことはない。はじめから自分で書くほうがずっと早く、正確で能率的なのです。団塊の世代というのは、こうしていつになっても貧乏籤をひいている損な世代であります。

もう、アホか、と。
「左だ右だ上だ下だと議論された挙句の結論を、どこからもつっつかれることない文章にまとめる能力」が学校で身に付くわけないでしょうが。そういうのは職場のジャンルごとに求められる物が異なる高度に専門的な技能でしょ。それを「文章力」とひとくくりにするのは乱暴すぎ。
だいたい春具さん自体がむかしJMMで「若い頃はなんどもなんども突っ返された」って書いてたじゃん。(団塊の世代というのは、こうしていつになっても過去の行状を省みない厚顔無恥な世代なのです、とかいいたくなっちゃうぞ。*1)そういうのは、現場で身につけていく能力であって、鍛えるべきは「あらかじめできるようにしておく事」じゃなくて「できないことができるようになる、学べる力」なんじゃないかね。
あとここでも自分の特殊なギョーカイを過度に一般化しすぎ。だいたいここでいってるような会議の報告書の作成なんて事務屋の仕事じゃん。日本人全員が国際会議の事務方になるわけではもちろんない。そういうのはそういうのが好きなやつがやればいい。むしろ「教育」という観点では裏方じゃなくてプレーヤーの育成をめざすべきではないか。


*1:これはどっちかというと春具さんのことを言ってるわけではなくて、団塊モンって本気で、全く何も反省してないんだ、というのを、ちょっと前に2chで(今検索したら出てこないがヌー速+の山本義隆(※余談だがむかし駿台で習ったことがある。いやおいらは断然坂間派だったがw)大仏次郎賞を取ったというスレで)見て、衝撃と共に知ったのの名残だ。「わたしの世代は、世界的に見て共通点を持っている。負けいくさを闘い、社会から正当化されないまま、保守と繁栄の中に散っていった」(c)上野千鶴子(←斎藤美奈子大先生の御本から孫引き)とかもうばっかじゃねーの早く死ね、としか思えん。