あたしゃ

だらだらと言いたい放題書き散らかしてるが、逆に、穏当に日々積み重ねていると、ちゃんと新聞の中の人とやりとりが成立したりすることもあるのだなあ、ということを、以下のサイトを見て思った。(いやこのスタイルが好きでやってるんだし別に後悔はしてないが。)
finalvent さんのコメント欄の「毎日新聞 白戸」さん。

もう一つは、このダルフール問題への取り組みの遅さは、毎日新聞に限らず日本のすべてのメディアに言えることですが、あまりに貧弱な国際報道体制の象徴だと思います。現在、毎日の記者で海外特派員は世界にたった36人、私についていえば1人でアフリカ48カ国をカバーしています。こうやっている間にも、どこか別の地域で何かが起きている可能性があり、現実には迅速なカバーはほとんどできないとい実態があります。
 ご承知の通り、日本の新聞はクオリティーペパーを標榜するにはあまりにチグハグな構造を持っています。世界のニュースから販売店の要請に応えた町内会の行事まで、全部を紙面に押し込めている幕の内弁当のようなものが日本の新聞です。
 こうした構造の中で何が起きているかというと、ニュースの第一報をロイター通信かAP通信に頼り、その次にCNNが騒ぎ出せば「国際ニュース」として初めて取材に取り掛かるという現象が日常化しています。あるいは、仮に現場の記者が早めに取材に取り掛かり、外信部の中でコトの重要性に関する一定の認識を得つつあったとして、それが新聞社全体の中で一定の面積を割いたニュースとして扱われにくいという状況があります。この文章を会社の偉い人々が見たら怒るかもしれませんが(笑)、端的に言って日本の新聞社では、自ら「これは重大なニュースだ」と判断できる欧米のクオリティーペーパーのような地域専門家が計画的に育成されてもいません。紙面をご覧になれば分かるとおり、外信部の記者に与えられたページなど高校野球の記事以下のスペースであり、毎春、毎夏の高校野球取材に動員される記者の数(私も若いころやらされました)は、世界史に残る虐殺事件を取材する記者の何十倍にも達するわけです。
 実に膨大な読者の方々、さらには私の女房の親戚からですら「××新聞は親中派なので、この記事を見送ったのか」とか「△△新聞はイデオロギー的に◎◎寄りなので、あの報道に熱心なのだ」といった声が寄せられます。だが、率直なところ、現在の日本の国際報道は、そうしたある種の政治的判断(政治的偏向)以前の問題だというのが実情だと感じています。他の新聞社、または毎日新聞社のほかの部署がどうかは分かりませんが、外信部で私が知りうる限り、私はどこかの国への政治的配慮から記事を控えたこともなく、また控えるよう求められたこともありません。ある意味で日本のジャーナリズムの国際報道の水準の低さを告白する恥ずかしい話ではありますが、問題の所在は政治的判断以前のもっと深刻な問題、すなわち一体、日本の新聞社は今のような構造でよいのかというところにあるように思います。

こういう勇気ある新聞記者は応援したいです。やっぱ毎日新聞で実名記事かいてると、ジャーナリスト魂も磨かれるんすかね。「日本のマスコミ=糞」というのをマスコミの人がちゃんとまず認めるとこから始めないとどうにもならないわけだが、最近の新聞記者の人が書いてるいくつかのブログ(ネットは新聞を殺すのかblogとか)をみると、「これではいけない」と思ってる人も多いのかもしれませんな。
ま、「中には志の高い人もいる」じゃなんの意味もなくて、こういう人がちゃんと出世して状況を変えられるところまで行くのかどうかを見守らないといけませんけどね。(日本の停滞系のだめな組織って、若いのはみんな志が高くても、それを持ち続けようとする人ほどどんどん切られて、実権をふるえるところまで残った頃にはスポイルされたのばかり、ってのがありがちだからな。)



というようなことを思ったんだが、その後ろに他のサイトのコメント欄でも時々見かける心底頭の悪そうなロリオタのカキコがあって、なんかキモイしどうしようかな、、と思ってるうちに圏外からのひとことに先を越されて悔しい。←アホ