「容疑者」呼称について

『マスコミ用語「容疑者」の発生』

容疑者(ようぎしゃ)は日本のマスメディア(マスコミ)による造語である。マスメディアでは逮捕されると「容疑者」と呼び、公訴が提起(起訴)されると「被告」と呼ぶようになる。
1989年12月より、ほとんどのテレビ、新聞社などのマスメディアは「容疑者」という呼称をつけるようになった。それ以前は呼び捨てであったが、被疑者は無罪を推定されている立場であり、呼び捨てでは犯人扱いしているのに等しいことが呼び捨て廃止の理由であった。

ところがその後のマスコミさんの不断の努力によって「容疑者」という呼称も呼び捨てか下手をすれば犯罪者並のニュアンスを帯びるようになった。だからこそ

といった醜悪きわまりない事態に至るわけだ。ちなみに全国紙は産経が「島田紳助さん」で他は「島田紳助容疑者」。(元は2chにあったと思うがこちらのまとめから引用。関東以外に住んでる人のために局名は一般名に変更。)
最近新聞記者のブログは多いが、私の知る限りこの問題にはみな口をつぐんで知らんぷりをしている。こんな腐った業界内部で「自浄」とかいってもどだい無理だと思うぞ。(どっかで論じてたら教えてくださいな。謝るから。)
(追記:ありますた。ごめんなさい。ジャーナリズム考現学『容疑者呼称』ガ島通信『どうして「タレント」なのか?』。これらの記事によってさらに「容疑者」呼称の恣意性が浮き彫りになっているわけだが、改善はなされないんですかね。)
もう「容疑者」という呼称が犯罪者のニュアンスを帯びるようになっちゃったのを元に戻せとは言わないから、

間違いなく有罪(かつ微罪ではない)と個々のメディアが判断した場合と、現行犯の場合、その二つ以外は全部「さん」づけにすべし

という事を提言したい。上記二つのいずれかに該当する場合は呼び捨てね。(今となっては「容疑者」呼称も呼び捨てと同等なので婉曲表現として「容疑者」でも可。)呼び捨てにすべしと判断した人間の名前は常に公表する。無罪の判決が確定したら謝罪&社内処分。
そりゃ「逮捕・書類送検されたら容疑者」とかマニュアルが決まってたら書く方は楽でしょう。記事を書くときにちゃんと取材して「有罪間違いなし」とか判断するのは大変でしょう。でも、マスコミの人は、現在「容疑者」呼称によって事実上書かれる人の社会的生命を抹殺しているという自覚はあるのかね。



ま日本のマスコミの人は上に行けば行くほど、特に報道系は、自分で判断するのは嫌マニュアルで全部決めてもらいたい責任は取りたくない、というタイプの人間ばっかりという状況になっちゃってるみたいだから、こんなこと書いてもたぶん無駄だろうけど。(香田さんが亡くなったという最初の誤報の時も、政府の発表をそのまんまいつも通り垂れ流したら大誤報になっちゃって、反省もせずに逆ギレして政府を叩いてましたね。恥の上塗り。)
(追記11/21:誤報を打ったのは共同だけだったそうな。ごめんなさい。しかしじゃあなんで朝日が政府を批判してたんだろう。援護射撃?)