ハウルの動く城

見てないけど。

本田透さん@しろはた(※表紙の方でも取り上げている)

 やっと新宿で「ハウルの動く城」を観た。内容は、やっぱり「ハウルのひきこもる城」だった。
 仕事ぐらいしろや!('A`)<ハウル
 それにしても
「美しくなければ、生きてる意味がないっ!!('A`)」
 ってのは…宮崎先生…(´;ω;`)ウッ…
 悪魔に魂を売ってでも、キムタクになりたい!('A`)
 という先生の血の叫び、しかと受け取りました!('A`) それ以外にも
 女はおっかねえ、女は信用できねえ!('A`)
 短髪ロリ少女のキスで世界が救われる!('A`)
 ババアなんかどうでもいいんだよ俺は!('A`)
 戦争きらい、オタク城にひきこもっていたい!('A`)
 誰かオタク部屋を掃除して! でもアイテム触っちゃダメ!('A`)
 などなど、宮崎先生の願望がだだもれで、誰か止めなかったのかと。
 この映画は、キモメンの魂と妄想が炸裂した、名作ですよ!('A`)

essaさん@圏外からのひとこと

ハウルの動く城」を老人問題に関する分析と提言として見ると

  • 介護者は被介護者から呪いをかけられている
  • 介護者はかけられた呪いについて言語化できない
  • 被介護者は呪いをかけることはできるが解除することはできない

という設定は、現状分析としてなかなか見事だと思う。
それで、欲深な老人が国家権力によって無力化されて、呪いをかけられたニートのもとに突き返された時に、ニートは呪いをかけた団塊の世代の老人を介護できるかというのが、この物語のひとつのテーマである。
そのときに、ひとつの鍵として、ソフィーが怒る力を奪われていなかったということがある。ソフィーは、この理不尽な状況、特に自分がこの状態を言語化できないことに怒る。怒りのエネルギーで状況を動かしはじめる。ソフィーに怒る力が残っていたということが、どんな魔法より非現実的な、あり得ない設定に見えてしまうのだが、よく考えると、ソフィーが「こんなふうになっていても歯だけはそのままでよかった」とつぶやくシーンがあって、そういうものかもしれないとも思う。
もうひとつ、欲深な老人が配偶者の心臓を手にして離さないというシーンがあって、あそこで欲深な老人をブチ殺さないでいられる理由もよくわからない。しかし、ここにもひとつの筋は通っていて、この非常に困った状況をソフィーは配偶者と欲深な老人の二者択一というふうにはとらえていなかった。そういう問題設定ができれば、単純に説得することが可能であるという教訓だろうか。
もちろん、正月映画なので、あくまでこれはフィクション、ファンタジーの世界の中の出来事であるという解釈も可能である。
なお、言語化できない呪いは、直る時には知らないうちに直っていて、そこには「もののけ姫」のようなカタルシスはない。この点については納得できた。

北沢かえるの働けば自由になる日記

ある人が「新右翼に突っ込まれ過ぎるようなセリフが多い」って言ってたが、こんなもんじゃなかろうか。国家は我々になにをしてくれるのか? 国家が要求する義務を果たしたとしても、それに対しての見返りは、こんなもんじゃろ。だったら、荒地をうろうろするか、空を飛ぶかして、逃げられるだけ、逃げていた方がいい。国家と取引できるほど、タフじゃないですよ。魔法使いだって。
宮崎駿が戦争を描く」ってたけど、戦いに参加することで自らを滅ぼすハウルってのが精一杯だろな。米国とは違って、欧州と日本の庶民は「戦争はろくなことじゃない」ってのはよく承知だし。個人レベルでの戦争観以上はこの映画では描いていないし、そっから先の話は面倒なので、「国防大臣と参謀長官を呼びなさい」って辺りで収めてしまうんだろう。それで十分だし、5歳の娘は戦争のシーンでしがみついてきた。イラクからのニュースを見慣れている子たちには、物語も物語じゃないってことだ。

僕がよく読む日記で解釈が分かれた。こんだけ多様な読みを許すというのはきっと面白い映画なんだろうな。DVDになったら買って見よう。(事前に赤くない事をwebでチェックしてから。)