ジェスチャーゲーム

見た限り独仏英伊西と共通な西欧街作りアーキテクチャとでも呼ぶべきものがある。すなわち街の各ブロックの周りに城壁みたいに(高くても5階建てぐらいの)建物をめぐらす。そのことによりたくさんの居住スペースを確保し極力高すぎる建物を建てない事で街の美観を保つ。ブロックの内側は中庭スペースとなり、例えばミュンヘンのような大都会でも朝目覚めたら写真のような緑が目の前にありベランダにはリスが遊びに来るといった環境が可能となる。ただしこれは住んでる人にはいいけど街を歩くと道路の両側に壁がそそり立っているようで圧迫感がある。この点は多数の公園を配することで空が見えるスペースを確保しているようだ。
ワルシャワも第二次大戦で破壊されてもめげずに戦前の感じを再建している中心街はわりとそんなかんじだが、私の住んでる郊外は無造作に10階建てぐらいの高層建築が立ち並び、実際私の住んでるところも7階(日本でいう8階にあたる)なわけだが、なんというか西欧アーキテクチャというよりはアメリカや日本の感じに似ている。そう街作りアーキテクチャでは日本はアメリカに似ている。アメリカ映画の街並みを見ると「日本みたい、懐かしい〜」といった感じすらするほどだ。ポーランドがそれらに近しく感じられるのは、旧共産圏のアーキテクチャというのがそもそも西欧よりアメリカに似てるという事なのだろうか。どちらも方向性こそ違え近代化を標榜し強力に推進した帝国という点で似てくる、なんて事もあるやもしらんと思うがどうか。
まあ私は旧共産圏のアーキテクチャというのは知らないので、実はそういう事ではなく単純に長いコミュニストによる圧政の後の資本主義化のまっただ中ではアメリカをめざすのがかっこいい、という事かもしれない。
そうポーランドはちょっと前までの日本同様「アメリカ化=近代化≒善」という前提を無条件に信じてるような部分があって微笑ましい。で親米国と聞いていたとおりドイツより英語が通じる、というかいきなり英語で話しかけても嫌な顔をされない。もちろん、非英語圏でいきなり英語で話しかける事を当然と思うような魂まで被植民地化されたような人間にはなりたくないので、挨拶と数字ぐらいは現地の言葉でいこうと現在

  • 「グーテンターク」*1→「ヂェィンドブリィ」*2
  • 「シューディゴン」→「プシェプラーシャム」
  • 「ヤー」→「ターク」
  • 「ナイン」→「ニェ」
  • 「ダンケ(シェーン)」→「ヂェンクィエン(バルヅォ)」
  • 「ビッテ(シェーン)」→「プロシェ(バルヅォ)]
  • 「ヴィーダゼーン」→「ドヴィゼーニャ」
  • 「チュース」→「チェシチ」

が無意識に出てくるように矯正中ではある。まだ「ヂェィンドブリィ」というべきところでしばしば「ヂェンクィエン」といってしまって苦笑されるといった段階だが。なお数字についてはこんな表(PDF)を作ってみた。
まともかくドイツよりは英語が通じるのだが、通じない人にはもちろんまったく通じない。そのうえで、人間言葉が通じなくても意外と分かり合えるものである、という事を体感できるのが外国暮らしの収穫だと思う。(素直にドイツ語・ポーランド語を勉強せいといったツッコミは却下。)
さてここまではマクラでここからが本題である。一ヶ月ほど前にドイツで身振り手振り(と擬音)だけで「掃除機のゴミをためる袋の替えパックを下さい」というのが通じたもののこれは最後に掃除機の型番を言ったのが決め手となったという点で画竜点睛を欠いたのだが、一昨日とうとう薬屋で「ヂェインドブリュ」「May I speak in English?」「Nie」の後、

すみません、のど飴を買いたいのですが、いや、喉へのスプレーじゃなくてアメです、ア、メ、そうそうえーっと他には同じようなのはありますか?あーじゃこれをおねがいします。

という所まで全てジェスチャーで完遂し「ヂェンクィエン」につなげられたのはなかなかのもんだと思うがどうか。


*1:ミュンヘンでは「グリュスガッ」だったのをボンに移るときに矯正済み。

*2:耳で聞くと「ジェニダブリュ」という風にも聞こえる。