ミュンヘン(スティーブン・スピルバーグ監督)
見ましたよ。
最初JMMの冷泉タンの紹介記事を読んで見てみたいなとチラリと思って忘れてたんだが、内田樹さんの紹介記事を見て思いだした。英語でミューニックなのはまだいいがポーランド語だと「モナキウム」なので、そのタイトルを見ても既にソレが公開されてるというのにしばらく気づかなかったw
まずはその冷泉彰彦さんによる紹介と賛辞を一部抜粋:
12月23日に公開されたスティーブン・スピルバーグ監督の映画『ミュンヘン(原題は "Munich" ミュニック)』は監督の最高傑作であるだけでなく、2005年までの現時点で言えば、今世紀のハリウッド映画の中で、最も価値のある作品ではないかと思います。
既に報道されていると思いますが、映画は1972年のミュンヘン五輪開催中に起きた、PLO(パレスチナ解放機構)の過激派グループ『黒い九月』によるイスラエル選手村襲撃事件を扱っています。11人が人質となり、最終的に全員が死亡したこの事件は、全世界に衝撃を与えました。
映画は、その事件の後日談を描いています。ショックを受けたイスラエル首相のゴルダ・メイア女史は、秘密警察「モサド」の精鋭を集めます。そして、「いかなる文明も、必要な場合には自分の価値観に背くような譲歩をしなくてはならないときもある」というセリフと共に、秘密裏にPLO幹部11人の暗殺を命じます。その暗殺チームのリーダーであった、アブナーという男が主人公で、エリック・バナが名演技を見せています。
では、ユダヤ系を代表する文化人であったスピルバーグは、パレスチナとの紛争に呆れてイスラエルへの支持を止めたのでしょうか。そうではありません。この映画にあるのは、これまでのスピルバーグ作品には全くなかったような、ユダヤの文化とイスラエルという土地への愛情の告白です。
何よりも、ユダヤの女性像の描き方が尋常ではありません。これまでのスピルバーグは、女性像の造形や、性愛描写に関しては極めて淡泊な監督でした。ですが、本作ではそんな過去をかなぐり捨てるかのように、アブナー夫妻の濃密な性愛を描き、アブナーの妻にはじけるような魅力を与えています。妻の役には、イスラエル人のアヤレット・ズラー(イスラエルのトップ女優だそうです)を当てているのですが、子を産み子を育てる母性とエロティシズムの重なり合った素晴らしい存在感を見せています。
もう一つの特徴は、暴力の表現です。スピルバーグといえば、『プライベート・ライアン』の暴力描写が話題になりました。NC17(17歳未満お断り)という指定になりそうなものを、R(17歳未満は保護者同伴)に止めるために監督自身が動いたとか、色々なことが言われたものです。時代が更に緩くなったのでしょうか、今回はNC17かという騒動はありませんでしたが、私にはこの『ミュンヘン』の暴力描写は、『プライベート・ライアン』以上のように思われました。テロとは何か、テロによる死とは何か、ということをリアリズムとして訴えたかったのでしょう。
映画の最大のポイントは、イスラエル側とPLO側の間で完璧なバランスを取っていることです。
このバランス感覚というのは、映像としてもきめ細かく計算されています。
エロティシズムと暴力が、これほどの悲しみを伴って重ねられた例は私は見たことがありません。これまでのスピルバーグ作品とは一線を画すものだと思います。
詳細はネタバレを含むと思われるので、この項の最後に引用する。
子供がいると映画を見にいくなんてもう夢のまた夢だったが、ちょうど妻子が日本に帰った次の日なにかポッカリ空いたような土曜日、家にいても鬱になりそうだったから見にいった。(いやーしかし子供がいるのといないのとでは自分の自由になる時間って本っ当に段違いですね。もうね一人で「ぼー」っとしたり本読んだりできる時間を持てる、っていうのがいかにプレシャスな事か思い知ったですよ。bewaadさんが「何度でも読み返してみたいと思う言葉の数々」「これらがリアルタイムかつ無料で味わえる時代に生まれた幸せを噛み締めつつ」なんていう純朴な事いうのをみて「だって山形さん子供いないんでしょ?暇なんだから彼の能力考えたらせめてそれぐらい社会に貢献しろっつの、きょうびゲイでも養子とって育てられるんだし」とか斜めに毒づきたくなるほどに(^^;;。)えっとなんの話でしたっけ。そうそう映画映画。
で、妻子がいなくなった次の日見にいったわけですよ。
どよーん。見ただけで落ち込んだ。
なんか工エエェ(´д`)ェエエ工というか
「こんななんの救いもない現実をなんの救いもないまま投げ出して貴様それでエンターテイメントを名乗れると思ってるのか!」
という(恐らくは自らの落ち込みを異化するための心理的機制としての)怒りが込み上げてくるほどのアレでしたよ(映画のスタッフロールの最後にでる「なんちゃらエンターテイメント」という会社名に対して)。何年も映画といえばボリウッド(インド映画)のDVDばっかりだった身にはちとキツかった・・・。
でも凄くパワーのある映画で、どうしてももう一度見たくなって結局2日後もう一度見た。二度目は、初回に台詞がよく聞き取れなかった部分がもうちょっとよく分かるし、大体次に何が起こるか分かってるから初回ほど怖くないしで、なかなかよかった。
映像は美麗だし、特撮はエグエグだし、欧州諸都市の観光ロードムービー的楽しみもあるっちゃあるし、ちゃんとエンターテイメントしてる、と言えるんじゃないか、という気が今はしている。
あと大事なのはとにかくエロい。結婚・夫婦・ファミリー・子づくりというもののエロさをここまで描写した映画はおれは知らない。昔からバブル世代の恋愛観に「氏ね」と思っていた僕にとっては、へーアメリカの映画監督がこういう風に撮るんだーというのは非常に同時代的な感じがした。これを見た日本のワカモノが俺もケコーンしたいな、と思うようになるといいな。中出しも結婚も大励行じゃ。もとい。
とにかくむちゃくちゃオススメなので絶対見にいってください。
エンターテイメントとして上質であるだけでなく、天才スピルバーグの、文字通り自分の人生を賭けた強い使命感を嫌が応にも感じさせられる映画です。スノッブな内田さんは
PFLPやバーダー=マインホフやジョルジュ・ハバシュやゴルダ・メイヤという名詞が何を意味しているのか知らないと、映画の登場人物たちが何の話をしているのか、よく(というかぜんぜん)わからない。
秘書は同世代の中では物知りのほうである。物知りでもこれくらいということは、二十代の一般観客はこの映画の中で口にされる固有名詞の90%くらいが理解不能ではないかと思う。
と言ってますが全然そんなことありません。あのスピルバーグが馬鹿なアメリカの大衆でも映画に添って話の流れが飲み込めるようにつくってんだから平均的日本人が楽しめない訳がない。ただ、黒い九月(ブラック・セプテンバー)というのがパレスチナ解放機構のテロ部門、という事だけは知っておいた方が話の飲み込みは早いかもしれない(僕は一回目見たときは冷泉さんの記事も忘れてて、なんかある過去の9月におこったテロ事件の事を指すのかと思ってちょっと混乱した)。つーかだいたい色んなレベルでの楽しみ方ができるのが映画というもののいいところなのに、基本的にエンターテイメント映画というのは台詞が全く分からなくてすら楽しめる程度には話の流れがわかるように作ってあるのに、この言い方、いかにもポストモダンの人らしい。
ネット上にはおそらく「あんな映画くだらないさ」と通ぶってみせる中二病(だか高二病だかしらんけど)の患者が多いのではないかと思われるので多少自分で調べたことなどをここに記す。※リンク先はネタバレを含むので映画を見た後でどうぞ。
よくある(であろう)批判は
という二つかと思われる。サンプルとしては例えばこんなの:
Israel: Spielberg Munich Dangerous As It Rationalizes Terrorism。(ちなみに英語の文章を読むときはPOP辞書を使うと便利です。多少なりとも英語を使い慣れてる人の場合は英和辞書より英英辞書を選んだ方が英語の流れがとぎれなくて読みやすいかと思います。)
で、もしこの文章が朝日新聞や産経新聞に載ったら僕は悪質なプロパガンダだと怒り狂ったと思う。でも、ミュンヘンをみたあとイスラエルのユダヤ人がこの文章を書いてるのを見ても、なんというかただひたすら痛ましいというか悲しい気持ちになるのです。そして、僕がそういう気持ちになる、という事自体が最初のポイントへの反論になると思います。大体さぁパレスチナ側のテロとイスラエル側のテロを同列に扱ったらイスラエルの立場がなくなる、ってそんなわけないじゃん。非ユダヤ人からみたら元からどっちもどっちって見えてんだからw そんで、テロ対テロの凄惨さ空しさをこれでもかって描いたこの映画を見たあとで、僕は正直いって
「でもやっぱりこの時点でのイスラエルの首相としてこうする以外の選択肢はないよな、俺が首相でも同じ決断をしただろうな」
って思いましたよ。スピルバーグがその辺抜かりがあるはずがないじゃん。パレスチナ人にも思いを語らせ、イスラエル人にも思いを語らせ、そういうのを見て「ほんとうにどうしようもなくこういう状況につきすすんでいってしまうんだな」とただひたすら重い心になりましたよ。ユダヤ人は迫害の歴史が長すぎたせいなのかなんなのか、非ユダヤ人の読解力文脈把握力をゼロと見なしているのか知らんが、それはやっぱり一方の極端によりすぎている。
で次、上の文章で書かれている「話自体がデタラメだ」という主張を僕がなぜ単なるプロパガンダとみなすか(その上で、イスラエルの人はこんなものにもすがりつかないと心が保てないのだな、と痛ましい重苦しい気持ちになるわけです、スピルバーグによる、ユダヤ人の、世界の中で漂っているかのような孤立感のなんともいえない表現を見た後では)、という2番目のポイントについて。この映画の種本はこれです:
「標的(ターゲット)は11人―モサド暗殺チームの記録 (新潮文庫)」、
英語版:「Vengeance: The True Story of an Israeli Counter-Terrorist Team」「Vengeance」。
この本がまったくのデタラメだ、という主張が上でリンクした文章ではなされているわけですが、僕はそれには与しない。一番大きいのは次の文章に行き当たったから:
Countering Terrorism: The Israeli Response to the 1972 Munich Olympic Massacre and the Development of Independent Covert Action Teams。
この文章は Alexander B. Calahan というお兄ちゃんが書いたアメリカの海兵隊の大学院の修士論文です(インターネットって凄いね)。イスラエルと緊密な軍事協力関係にあるアメリカで軍事を専攻する大学院生が一年かそれ以上かけて研究をするベースにこの本を選んでいるわけです。この修論は本を読むだけではなく、謝辞によると、本の著者であり映画の主人公のモデルとなったアヴナへのインタヴュアであるジョナス氏へ、電話でインタヴュした上でのものです(それどころかアヴナが誰かまで突き止めて直接電凸したらしいw経緯は原文1章の注3参照)。本が出版された経緯は以下の通り:
At the conclusion of his mission and subsequent dispute with the Mossad, Avner contacted a British publishing company about his story. The publishing company in turn sought out the services of Jonas, well known and respected for his investigative journalistic skills, primarily in the law enforcement arena. Avner and Jonas discussed the possibilities of producing a book and the parameters of confidentiality. The two conducted a series of interviews regarding the details of Avner's mission to assassinate the top PLO terrorist leaders in Europe. Jonas related that Avner's recall of "small details" was remarkable. It was his ability to provide minute details inherent in the operations which enhanced Jonas' assessment of Avner's credibility. After discussing the events of the operations, Jonas traveled to the assassination sites to verify the accounts. Avner provided specifics of operational events which never appeared in news coverage of the assassinations. Only the few involved would have known the intricate operational tactics and movements described in depth by Avner. He produced detailed information regarding the movements and signals of the support teams, the makes and models of vehicles used, the descriptions of the assassination sites, weapons, the specially designed ammunition, the types of explosive devices, and their process of cultivating intelligence sources.
ちなみにこの修論は、実際に米軍で2年間の隠密作戦に従事して人を殺したり仲間を殺されたりしたことがあるチームリーダー経験者3人への匿名インタヴュも行っている。その点からも信頼性が高い。
で、この文章を読んでみてびっくりしたのは、映画がむしろ驚くほど現実に即したものである事(現実、というのはもちろん確認する術はないがこれ以後修論と一致することをさす)。「こんな点まで本当だったのか」というポイントがいくつもあった。もちろん、「こんなの映画じゃーん」というような嘘っぽい点もあるが、話の大筋としては実話と思っても大きな間違いはない。
なお、そのほかの部分でも例えば、なんで・どういうふうにミュンヘン五輪の対応をバイエルン警察は失敗したのかとか、モサドがターゲットを間違えて全く関係ない人を殺害した上にほぼ全員逮捕されたというリレハンメルでの大失態の話とか、ものすごく興味深いので英語が使える人は是非リンク先の修論読んでみて下さい(映画を見た後で!)。
以下はネタバレを含むので映画を見てから読んでください。(上映館情報は公式サイトへ)
上の「Israel: Spielberg Munich Dangerous As It Rationalizes Terrorism」では、最初の方の主人公が「とにかく領収書もってこいよ!」といわれるシーンをひいて「こんな事はありえない、いかに現実から離れた映画か」とか鬼の首を取ったように書いてるけど、逆にいうと一番現実と違うという典型的な例としてそんな些細な点しかもってこれないほど、現実を反映している、ということがいえるのではないか。
僕に言わせりゃこんなシーン、単なる後のシーンの「何がほしい?」「領収書を」というギャグのための仕込みにしか見えない。大体、ミッションから還ってきてから実際に領収書を要求されてる訳じゃなくて、最初に「無駄遣いすんなよ」と釘を刺してるだけなんだから十分現実的だと思う。
最初のローマでの暗殺。いつも決まった店で電話をする事を確認していた、とか女性が車に乗り込むことで合図した、とかその辺までぜんぶホント。ただ、実際に射殺したときには、電気をつけて顔を確認し、名前を呼んで確認したらすぐに射殺した、とのこと。ちなみに後から一人誰かが証拠となるものが落ちてないかどうか現場確認した、というのもホント。
時系列としては、
- 1972/05/30 (奥平剛士、安田安之、岡本公三がイスラエルのロッド空港で自動小銃乱射、死者24人重軽傷72人*1)
- 1972/09/05 ミュンヘンオリンピック事件
- 1972/10/16 ローマで最初の射殺
- 1972/10/29 ルフトハンザ機ハイジャック事件によりミュンヘン五輪事件実行犯の3人のアラブ人釈放
- 1972/12/08 パリで電話に仕込んだ爆弾により爆殺
- 1973/01/24 キプロスのホテルオリンピックでベッドの下に仕込んだ爆弾で爆殺
- 1973/04/06 (パリの路上でピストルにより射殺)
- 1973/04/09 モサドチーム、アヴナの情報によりベイルートを急襲、ゲリラ約100名殺害、ターゲットの妻犠牲に
- 1973/04/12 アテネのホテルで爆殺、逃走の際KGB職員一名犠牲となる
- 1973/06/28 (車に仕込んだ爆弾で爆殺)
- 1973/07/21 (アヴナとは別のより公式なモサドチーム、リレハンメルで無関係のモロッコ人を殺害、逃走に失敗して全員逮捕される)
- 1974/01/12 (スイスの教会で射殺失敗)
- 1974/05 メンバーがロンドンのホテルにてブロンドの超美人殺し屋に殺される、チームメンバー残り4人
- 1974/08/21 オランダのホーン(アムステルダム近郊)の船上にて、その女性殺し屋を射殺
- メンバー一人殺害される、残り3人
- 1974/11/11 スペインのビーチハウスで殺害失敗、アラブ人ガードマン一名が犠牲に
とりあえず修論の表に書いてあるのと Wikipedia の情報をまとめるとこんなとこ。カッコで全体を括ってあるのは映画では描写されなかった件。こうしてみると、ハイジャックによるアラブ人釈放は映画上の演出のため実際よりかなり早めている事が分かる。(追記:1977/10/13 を 1972/10/29 に訂正。Wikipedia 日本語版の誤記にやられたorz。Wikipediaの方も修正済)映画の時系列はほぼ現実通り。
いやーちょうど僕が産まれた頃(1972/09/09)欧州ではこんな事がおこってたんですねぇ・・・。僕がびっくりしたのは、「フリーの超美人殺し屋」「政府系とは取り引きしないフリーの殺人情報屋ルイの一族」なるものが実在だったという点。そんなのぜってー映画のためのツクリだろって思ってた。ふだん陰謀論とか馬鹿にしてるけど本当にそういう世界ってあるんですね。美人殺し屋の部分を引用してみよう:
As the mission continued, in May 1974, the team found themselves in London, England. Avner was attempting contact with a source with possible information regarding Salameh. His source never made the prearranged meeting. Avner felt uncomfortable about the aborted meeting, and also mentioned to the group that he believed he was under surveillance. He related his concern that the British authorities may have discovered their presence in the capital and were conducting surveillance operations against the team. Only three team members were in London, where they had hoped to conclude their business in three to four days then meet the other two back in Frankfurt. Avner and one partner were staying at the Europa Hotel. One evening after dinner, Avner decided to spend some leisure time in the Etruscan Bar. A very attractive blond woman enticed Avner into a conversation for a short time at the bar. As Avner left the woman and the bar enroute to his room, he passed his partner heading to the bar for a drink. After a short time, Avner went back to the bar to socialize with his partner but observed that both he and the woman had departed.
Avner and his teammate had separate bedrooms which shared a common foyer. As Avner went into his room he noticed the same strong perfume of the woman at the bar and heard the sound of a female laughing in his partner's room. The next morning Avner's partner failed to arrive for breakfast. Concerned, Avner went to his partner's room to check on his welfare. After receiving no response to his knocks on the door, Avner entered the room. He found his partner dead, lying naked on the bed with a bullet wound to the chest. Avner contacted Le Group, which handled all the details of sanitizing the room and disposing of the body. Avner also asked Le Group to provide him any information they could obtain regarding the woman's identity.
After arriving in Frankfurt, Avner provided the details of the death to the other team members. After reviewing the information provided by Le Group, the team uniformly agreed to track and assassinate the responsible woman. Although this was a clear disregard of their mission parameters, the emotional impact of the incident pushed them to pursue the woman. Le Group had determined that the woman was a free lance assassin whom Avner had positively identified through photographs obtained by Le Group. Her services were available to any one willing to meet her fees. The woman resided in Hoorn, just outside Amsterdam. On August 21, 1974, the team conducted a mission to assassinate the woman in the same fashion as their previous operations. As the assassination team approached her, the woman instinctively reached for a weapon. The team subsequently shot and killed her. 19 There was no information available as to who had contracted her services for the hit on Avner's team. Mr. Jonas reported that Avner was severely reprimanded for acting unilaterally in assassinating the woman. This was clearly outside the parameters initially established by Harari for team operations.
なんか淡々としてるけど鬼気迫る描写ですな。映画でも最後狩る側から狩られる側にまわっていく展開、ものすごく怖かった。
たぶんツクリだと思ってるけどほんとかどうか種本を見たいなと思ってるのは、以下の点:
- アテネでルイがPLOとアヴナ達がバッティングするように部屋を用意し、同じ部屋に泊まったってのは嘘でしょ?
- アテネでの爆殺で、映画では爆弾が起爆しなくておじいちゃんメンバーが自ら乗り込んで手榴弾で爆発させた事になってたが、いかにも嘘臭い
- ルイの自宅にお呼ばれしたシーン
- 最後の方ロンドンでCIAが妨害したってほんと?
- 女殺し屋を殺害するときほんとに空気銃なんて使ったの?
- 爆弾のスペシャリストの仲間が「事故」で爆死したというのは完全なフィクション?
で、この映画アメリカでは興行成績悪かったらしいんだけど、そりゃあたりまえだよなーと思った。だってアメリカがユダヤ人、イスラエル国家にとっての「他者」として描かれてるから。かの国では、常に主人公、あるいは主人公に協力するジャスティス合衆国としての米国でないと受け入れられないのではあるまいか。
ロンドンから奥さんに電話するシーン、娘の声きいて泣いてたけど、自分だったらどっちかというと娘じゃなくて妻の声で泣きそうな気がする。いやま、そういう極限状態になったことないから分からんけど。
最後のシーンの遠景にニューヨークのツインタワーが映っているというのは、冷泉さんのを読んでなかったらたぶん気づいてなかったと思う。最初見たときイスラエルでのシーンだとばかり思ってて「エルサレムってのはずいぶんゴミゴミした統一感のない汚い街並みなんだな」とか思ってたんだけど、映画が終わっちゃったから「そうかここニューヨークであれはツインタワーか」とやっとわかったw 大体あとからよく考えてみたらエルサレムって海沿いじゃない罠・・・(最初の方でイスラエルの海岸でのシーンがあったからなんとなく納得してた)。
以下は冷泉さんの賛辞を引用して終わります:
映画のメインストーリーは、主人公アブナーが、暗殺を繰り返す中で、仲間を失い、無関係な人間の命も奪う中で精神的に追いつめられていく物語です。
それと同時に、まるでドキュメンタリーのようなタッチで『黒い九月』の襲撃事件の一部始終が、順次紹介されていきます。トレーナーにジャージという姿の犯人グループが、堂々と選手村へ押し入り、何人かの人質を殺します。やがて逃走用に用意された飛行機やヘリにトリックがあることが露見したことから、警察との銃撃戦になり、結果的に残りの人質を全員射殺するまでが克明に描かれていきます。
これに、アブナーの家族のストーリーが重なっていきます。妻の妊娠、娘の誕生、アメリカへの移住、自身の母親による精神的な救済、そうした家族のストーリーが、アブナーという人物を立体的に描いてゆき、最終的にアブナーの精神の痛みを観客に共有させようという、演出になっています。
スピルバーグのメッセージは明白です。紛争はそれ自体が悪であり、その当事者のどちらにも正義はない、ということでしょう。結末の近くになって、アブナーに「こんなことの果てに平和なんかあるはずがない」という決定的なセリフを言わせている点から見ても、それは明らかです。
では、ユダヤ系を代表する文化人であったスピルバーグは、パレスチナとの紛争に呆れてイスラエルへの支持を止めたのでしょうか。そうではありません。この映画にあるのは、これまでのスピルバーグ作品には全くなかったような、ユダヤの文化とイスラエルという土地への愛情の告白です。
CGなどの最新技術をそっと使いながら、70年代のイスラエルの日常の風景を再現しています。主人公は任務を続けるための隠密行動に疲れ果てるのですが、たまに母国のロッド空港に戻ると安心するという様子が、自然に描かれます。そして、ユダヤ系の独特の食卓、その豊かさと食物への感謝の思いなども印象的な映像で配置しています。
何よりも、ユダヤの女性像の描き方が尋常ではありません。これまでのスピルバーグは、女性像の造形や、性愛描写に関しては極めて淡泊な監督でした。ですが、本作ではそんな過去をかなぐり捨てるかのように、アブナー夫妻の濃密な性愛を描き、アブナーの妻にはじけるような魅力を与えています。妻の役には、イスラエル人のアヤレット・ズラー(イスラエルのトップ女優だそうです)を当てているのですが、子を産み子を育てる母性とエロティシズムの重なり合った素晴らしい存在感を見せています。
更に、アブナーの母親には、息子への理解者であると同時にイスラエル建国の証言者として「誰が何と言おうと、この土地に来なければいけなかったの。どんな犠牲があったにしても、あるにしても地球上でここが私たちの土地なのだから」と言わせているのです。清濁併せのむ政治家として描かれているメイア首相の造形にも、ある種のユダヤの母性というテイストを加えています。
もう一つの特徴は、暴力の表現です。スピルバーグといえば、『プライベート・ライアン』の暴力描写が話題になりました。NC17(17歳未満お断り)という指定になりそうなものを、R(17歳未満は保護者同伴)に止めるために監督自身が動いたとか、色々なことが言われたものです。時代が更に緩くなったのでしょうか、今回はNC17かという騒動はありませんでしたが、私にはこの『ミュンヘン』の暴力描写は、『プライベート・ライアン』以上のように思われました。テロとは何か、テロによる死とは何か、ということをリアリズムとして訴えたかったのでしょう。
映画の最大のポイントは、イスラエル側とPLO側の間で完璧なバランスを取っていることです。主人公アブナーを中心としたモサドの側を丁寧に描く一方で、PLOの幹部たちの日常や家族を描き、若者には思いを語らせる、そんな中で感情移入させられた登場人物が残忍に殺されていくことで、観客はテロの応酬の恐ろしさを追体験することになります。
このバランス感覚というのは、映像としてもきめ細かく計算されています。冒頭に紹介される『黒い九月』の凶行シーンでは、PLOの視点でカメラを回し、襲う側の彼等の恐怖感を伝えるような仕掛けを交えているのはその一例でしょう。ありとあらゆる演出上の技術を使って、両者のどちらにも偏らないで、最終的には暴力の応酬そのもの、紛争そのものが悪だというメッセージを浮かび上がらせることに成功しています。
1972年の『黒い九月』の凶行は、最初はドキュメンタリー調なのですが、映画が進行するにつけれアブナーの悪夢という形をとって行きます。その凶行のイメージは、アブナーのPLOへの怒りの源泉となるのですが、やがて精神が破綻してゆくと共に、『黒い九月』事件という悪夢の意味は変化していきます。
自分の殺人を報復行為として正当化するためには、事件の真相が悲惨なものであった方が良かった、だが、悲惨な殺戮を想像すれば想像するほど自分の精神は痛んでいく、悪夢はそんな方向へ進んでいきます。その凄惨な内面のドラマが、妻との激しい抱擁のシーンに重なるのです。エロティシズムと暴力が、これほどの悲しみを伴って重ねられた例は私は見たことがありません。これまでのスピルバーグ作品とは一線を画すものだと思います。
大筋異論はないが、「紛争そのものが悪」といいきっちゃうとなんか浅い気がする。あと「エロティシズムと暴力が、これほどの悲しみを伴って重ねられた例は私は見たことがありません」という点については、僕はどうもそのシーン、構図といい表情といい柳沢きみおのマンガを思いだしてしまって滑稽感が拭えなかった。残念。