村上世彰氏タイーホ

 村上さんて小田嶋隆さんの似顔絵でしか知らなかったから、どんな感じ悪い奴なんだろと思ってたんだけど、こないだの逮捕前の記者会見ではじめて見たら(Gyaoで全文が見れるそうな)えらい愛敬のあるオッサンじゃないですか。いわゆる「人たらし」タイプやね。
 そんでなにしか心騒いで逮捕翌日の6月6日腐れ守旧メディアがどんな書き方してんのか見てみようと日経新聞産経新聞、あと比較のためにヘラルド・トリビューンを東京駅で買って大阪にむかう新幹線で読む。色々とネタにしようと思ったんだが、京都から東京への帰りに紛失。あーぁ。
 ところで最近、JMMでおなじみの村上龍の小説を初めて読んだ。むかし文藝春秋での連載を一話分だけ読んで面白かった記憶のある「希望の国エクソダス」。まー荒唐無稽というか彼の願望が中学生に投影されてるだけの書き割り的リアリティのなさではあったが、それなりに面白かった。ただここに横溢してる気分はJMMでもっと直接彼の疑問・問いかけの形で読んでたので別にもう一度小説の形で読まんでも、という気はした。
 それと関係あるかもというかあるんだが、日本のマスメディアの文章というのは本当に酷いね。とりあえず

A「ファクツ・事実」とB「自分の意見・推測・主観」はきっちりくべつしましょう。30点

というところから始めないといけないんだもの。昔ドイツで上司マニュエルと「日本の新聞は1000万部とかそういう単位で出てる」「おっぱいが載ってる新聞だろ」「いやおっぱいの写真は載ってない」「裸の写真が載ってない新聞がそんなに出てるのか!」という会話があったが(^^; やっぱマスを相手にするとどうしてもそうなっちゃうのかね?←前も書いたがドイツの新聞も、おっぱいが載ってるようなのは事実と意見がごっちゃになってるような文章だそうなw
 どうせ新聞なんて広告費がメインの収入なんだから、クオリティペーパー路線で部数は少ないけど内容とイメージが良くて広告費ばっちり、というのは当然ありうると思うんだが。というかそういう新聞が存在しない、一個も無い、って民主主義国として恥ずかしくないか?
 んで肴にしようと思ったその日の産経と日経が手元にないので、ちょうど今目の前にある*1毎日新聞6月11日の一面トップで、もうちょっとどういう事なのか具体的にケーススタディしてみましょう。文章の酷さはどの新聞も一緒だし。つーか毎日新聞でも一面は署名記事じゃなくて日本の新聞の匿名2ちゃんねる的な酷さが際立つ、というのもあるしな。
 タイトルは「ニッポン放送株大量取得」「高値売り抜け目的」「村上容疑者 認める供述」。
 オーケイ(村上春樹風)、まずは一文目。

 証券取引法違反容疑で逮捕された「村上ファンド」前代表、村上世彰容疑者(46)が東京地検特捜部の調べに対し、インサイダー取引で買い付けたニッポン放送株について「利益を優先した」などと、高値売り抜けが目的だったことを認める供述をしていることが分かった。

容疑者呼称についてはもう何度もかいたので置いとく。
http://d.hatena.ne.jp/odakin/20041104#1099558597
http://d.hatena.ne.jp/odakin/20041109#1100026343
http://d.hatena.ne.jp/odakin/20060503#c

 まえたしかid:essaさんもなんかで書いてたが(いま検索したら出てこなかった)、「分かった」ってなに?「分かった」って?
 この文章は、この記事を書いてる匿名君が実は全知全能の神で「認める供述をしていること」がA「事実」であるという事が「分かった」とにかく分かっちゃった、という信仰告白表明? それとも確信を持ってます根拠は内緒だけど、という匿名君のB「主観」の表明なのですか? もうむちゃくちゃ。
 クオリティペーパー風に書くと「ことが分かった」は「と匿名を条件に特捜部の検事は発言した」というぐらいよね。
 次、

また、当時の保有株のうち少なくとも100万株は、最高値をつけた05年2月10日に売り抜け、この日だけで36億円以上の利ざや(ママ)を稼いでいたことも新たに判明した。

「判明した」ってなに?誰が判明させたの?この文章は特捜部の検事さんが寄稿してるの?「稼いでいたこと」はA「事実」なのB「憶測」なの?どっち?もし「伝聞」ならそれをそのまま書いてもA「事実」ではないですよね。「誰某がこう発言した」はA「事実」だけど。
 クォリティペーパー風に書くと文末に「と匿名を条件に特捜部の検事は発言した」よね。あるいは「毎日新聞が独自取材により明らかにした(詳細は*面)」とか。ここまでヘッドラインね。次から本文、

 村上前代表は逮捕前の会見(5日)で、同放送株の買い付けについて「フジテレビ、ニッポン放送の資本政策をいかにしたら直せるか一生懸命やっていた」などと弁明していたが、実際には利益確保を目的に、ライブドア(LD)側に株の大量取得を持ち掛けた構図が裏付けられた。

「実際には」というのはそれ以下の文章がA「事実」である、根拠は示さないけど、という信仰告白ですか?主語をかけよ主語を。誰が裏付けたの?これも「と匿名を条件に特捜部の検事は発言した」なの?

 これまでの調べによると、村上前代表は保有していた同放送株の処理に困って04年9月15日、LD前社長の堀江貴文被告(33)=証取法違反で起訴=らに「3分の1買えば、議決権行使で協力するので同放送が手に入る」などと持ち掛けた。

「調べによると」って検事が取り調べの内容を外に漏らすのは犯罪行為でしょ? どうやって調べたの? 超能力? 「処理に困って」って村上氏のB「主観」だよね? どうやったらこうしてA「事実」として提示しうるほどにそれを匿名の新聞記者君が知ることができるの? 超能力? 「持ち掛けた」のは匿名記者君が独自取材で発掘したA「事実」なの?そうじゃなくて伝聞なら「と匿名を条件に特捜部の検事は発言した」だよね。
 あーここまで書いたら息子が昼寝から起きてしまった。まぁいいや。とにかくこんな感じでA「事実」とB「主観」がごっちゃになっていすぎない?というのが言いたい。文法的には「自発」を使用不可にすればだいぶましになるんでは?*2 もちろんいちいち「と匿名を条件に特捜部の検事は発言した」ばっかじゃ読みにくくてしょうがないから、いかにA「事実」とB「主観」を切り分けつつ、読みやすい滑らかな文章にするか、というのがジャーナリストとしての腕の見せ所ではないのですか?日本の新聞の匿名記事みたいな緊張感のカケラも無い文章ならサルでもゴリラでもチンパンジーのアイちゃんでも書けるよ。
 そんでヘラルドトリビューンの署名記事読んでて思ったんだけど、こうやってちゃんとA「事実」とB「主観」をわけてたら、主観を述べる部分もはるかにばしっと言いきれるわけ。マルタ戦の記事読んでて「フォワードが酷かった。(中略)大黒は失敗のハットトリックを〜で締め括った」とかあるのには笑いましたよ。同日の日経と産経の微温的な提灯記事と比べてはるかに読みごたえがあった。
 ああ娘も泣いている。もうおしまいに。
 ネットで村上さん関連の記事はあんまし読んでる時間がなかったが見た範囲ではこの辺がおもろかった。新聞屋さんも、なにも分かんないんだったら分かってる人に寄稿を頼めばいいのに。
村上氏の逮捕は「ホリエモンの復讐」なのか? | isologue
ふぉーりん・あとにーの憂鬱: インサイダーとネット社会?
やっと明らかになった(?)村上ファンド事件: ビジネス法務の部屋
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村上ファンドは、カネだけを追求していたのか? : Espresso Diary@信州松本

 余談だが「国策捜査」について、http://bewaad.com/20060126.html#p02

webmasterは法実証主義者、すなわち法が法として世に通用する場合には通用すること自体に正統性がありその定める内容に限界はないと考える立場です

国家権力を行使する立場にある人がこんな発言をする国、ウスラ爬虫類キモイ。ナチはどーすんだよ。「立憲主義」的立場のがいくね?

追記

2週間ぶりにコメントを頂いて嬉しいので本文で書いてみるw
 どもども。最後の余談のとこですな。id:fhvbwx さんのリンク先の定義でいうところの legitimacy(正統性)の意味では「法が法として世に通用する場合には通用すること自体に正統性があり」自体はトートロジーですな。http://dictionary.cambridge.org/define.asp?key=45473&dict=CALD

legitimate
1 allowed by law

だもの。問題は「その定める内容に限界はない」の部分。元の文章でいうところの「国民の最大公約数的正義感に沿ったもの」だったらなんでもいいんですか?ちゅーことですな。
 みんなが「空気」を読みあって勝てもしない戦争に突入していきまたその戦争自体においてもみんなが「空気」を読みあって無駄に多くの人々が亡くなった過ちを繰り返すことになりますまいか?といいたい(この辺の感覚は「私の中の日本軍・上」とか「空気の研究」あたりを参照)。
 端的にいって、その論理はナチを肯定してしまいますよ?少なくともその台頭を阻止できないですよ?という問題点ですな。←このへん「個人と国家―今なぜ立憲主義か」の受け売り。


*1:ちなみにいま珍しくおくさんも子供たちも昼寝してる貴重なウェブ日記タイム

*2:あと「〜と見られる」とか酷い言い回しだよね。具体的に書いちゃうと「筆者の責任において、〜という認識が(文章では特定すらされていないある人間集団において)支配的であると筆者が判断する」という事になるわけだけど、そういう覚悟を持って書かれてるのかね。日本の新聞って戦前も今もひたすら「空気」はこうなってます、という事しか伝えてないんだよね。