マツウラ君のウェディングパーティ

で渋谷に行ってきました。5年ぶりぐらいにスーツ着て暑かったが楽しかった。←もう10年ぐらい前に結納返しで買ってもらった唯一のスーツ。ちなみに革靴には黴が生えていたw 拭いたら落ちたが。
 というかですな、10年前のスーツ、というのは――まだ数回しか着てないため物理的には古くはなっていないんだが――なかなかシルエットとかが時代に合わなくなってて鏡で見てもタイムスリップしてきた人みたいだった。今の形に比べると足首が細く膝が太く上も太い。なんというか10年前、というのは一番「恥ずかしい」時期よね。あと10年着れば流行も一巡して見られるようになるかな。
 ま僕にとってはスーツなんてどっちみちコスプレなのでタイムスリッパーでいいんだが。
 なんせ素粒子論業界は国際会議とかでも「Tシャツ+半ズボン+サンダル」がドレスコードだからな。←スーツとか着てたら間違いなく出入りの業者さんと勘違いされるというw というかクリエイティヴな職種ほどみんなラフよね。なんかある種の指標に使えるかも。
 というわけで吉川潮とかいう人による「いい大人が半ズボンとは」という蒙昧な文章をはてブから辿って見たときには、なんか一言いわねばならんな、と一瞬おもったんだが、スラドでテンプレ化による過不足無い素晴らしい批判がなされていたのでそれでいいや(参照):

猛暑になるとよく見かけるのが、髷をゆっていない大人たちである。30代、40代の町人に多い。
 明治時代以前、公衆の面前でざんばら髪が許されるのは坊主くらいで、元服した以上は髷を結うのが常識であった。大人で髷がないのは坊さんかはげた老人くらいのものだった。。
 それが近頃は、いい齢(とし)をした武士が休日の外出に髷を結わない。電車の中、映画館、ホテル、コンサート会場と、どこへ行くにもざんばら髪だ。頭皮が出はじめている中年男が茶髪でロンゲなど実にみっともない。また、ひげなどを生やすのは傍目に暑苦しく見苦しい。
 ざんばら髪を幼児性の象徴ととらえるとわかりやすい。彼らは見てくれは大人でも、中身は精神年齢の低い「童」なのである。武士は常に他人(世間様)の目を意識していなければならない。
 往来のマナーにしても同じで、みっともないから白髪を染める、人前でも女と手をつなぐ、帯刀しない。周囲にどう思われてもいいでは、子供より始末が悪い。
 偏見を承知で言うが、ざんばら髪野郎の顔をしみじみと見ると、どいつもこいつも剣ができそうにない感じがしてならない。そういえば、未成年者に対する淫行で…、あーとにかく最近のすべての犯罪者は髷を結っていなかったっけ。
 大人が髷をほどくのは寝るときだけ、せいぜい近所の銭湯に出かける時くらいにしておいたほうがいい。髷をほどいたら町内を出るな!

 パーティではシマザキさんという築地でマグロ運んでる人と意気投合しそうな雰囲気だったがお開きになり終電乗り逃がしても困るので「次は離婚したときに会いましょう」とかなんとかいいあいつつ帰ってきた。残念。