「日米関係」とは何だったのか マイケル・シャラー(市川洋一訳)
Michael SchallerがAltered States (1997)という本に岸とCIAの関係は書いています。公開公文書をもとに書いたはずです。この本は翻訳もされたと記憶しています。
を受けて、
Altered States の邦訳はこれかな
http://www.amazon.co.jp/dp/4794213220/
「日米関係」とは何だったのか―占領期から冷戦終結後まで マイケル シャラー
と書いたのは私だったりする(その後池田さんも触れている:「CIAが「統治」した戦後の日本」)。
んで、豊中市立図書館のネット検索で借りて週末の東京への行き帰りの飛行機で読んでんだが、これがもうむっちゃくちゃオモロイ。
- 作者: マイケルシャラー,Michael Schaller,市川洋一
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2004/06
- メディア: 単行本
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読んでたらCIAの資金提供なんていう下世話な興味は吹っ飛んで、なんというか蒙を啓かれるというか、読む前と後では世界が違ったパースペクティヴの下に見えるというか、アメリカの政権側から世界を見るとこういう風にみえてるのかぁ、というかんじで今年の一押し。
特にリフレ廚のみなさま!経済学なんて政治と軍事で大枠が決まった後のテクニカルな話ですよ、という、ちゃんと「サイエンス」として経済学を扱っているのであれば当然もっているべき諦観というか適用限界への自覚みたいなものがそこはかとなく得られるかもしれませんですよ。
しっかし「日本が外交下手」なんて、アメリカ側から見るととんでもないですよ。僕は冷戦というのはアメリカとソ連の両極と思ってたのですが、日本はむしろ50年代から一貫してアメリカと中国(中共)を両天秤にかけて、実にうまく立ち回ってきたのだな、というのが実感できる。だいたい何やっても優秀な日本人が外交だけ下手なんて考えてみたらおかしな話よね。
日本の左翼も右翼も一貫して熱烈に絶望的なまでに中共との貿易を求めている様が印象的だった。日本にとって中国こそがアメリカとの最大の非一致点で、日本は中ソ対立でも、中印戦争でも中国支持だったのかぁ、と隔世の感あり。文革で日本側も流れが変わったのかね。
アメリカから見た基本的な構図としては
- しかし日本が食ってくためにはともかく貿易相手が必要(日本にとって戦前はアメリカの次は中国がメインの相手)。
- イデオロギーを信じない日本人は食えなくなったら容易に中ソ側に靡くだろう。
- 世界の4大工業地帯の一つで近代戦争遂行能力のある日本を共産圏に持ってかれては西側陣営に取っては決定的な打撃となる(という畏れを戦後一貫して抱かせ続けたという意味で、あのキチガイ対米戦争も無駄ではなかったという事なのかね?)。
- なんとしてでも東南アジアを発展させて日本の需要と供給を満たす必要があるが、しかし東南アジアは資本の蓄積も不十分で日本の輸出を吸収する需要がない。
- しょうがないから日本の輸出は当面アメリカが受け入れるしかない。
ここまでの構図がなければ、アメリカは「自由貿易」なんて都合のいいときの口先だけで、自分の都合がわるければいかようにも輸入制限する、というのがむちゃくちゃクリアに描かれている。(という意味で経済学だけやっててもしゃーねーやなとか思うわけです。)
んで、日本の貿易相手として東南アジアを西側から失うわけにはいかない。東南アジアが共産化したら日本は必ずや中共に靡くであろう(貿易できなきゃ餓死するから)。だからこそアメリカは南ヴェトナムの腐敗した軍事独裁政権に肩入れしてヴェトナム戦争の泥沼に突入していくわけです。「ドミノ理論」って聞いた事ありますよね?本書ではっきりと描かれてますがそこにおける「スーパー・ドミノ牌」はなんと実は日本だったのです。
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(つか実は有名だった?俺は知らなかったぞ。)
んでそんなアメリカのヴェトナム戦争への協力要請に、日本側がもぉ実にのらりくらりとなんの論理もなくかわし続ける様が活写されている。
一九六四年七月――トンキン湾事件の直前――の日本の防衛庁長官、福田篤泰とアメリカ国防長官ロバート・S・マクナマラとの会談に見られるように、ヴェトナムと中国に関する日本側の意見は首尾一貫していなかった。福田は、日本は「東南アジアへのアメリカの努力を非常に高く評価している」が、「軍事的手段だけでは、このような地域を支配していく」ことは困難だし、軍事的介入はその地域の民族主義的感情に反し、共産主義者にアメリカの動機を容易に「ねじ曲げ」させることになる、と述べた。
これに対してマクナマラが、アメリカが「ヴェトナムで敗れ」、「ヴェトコン政府が支配する」ようになった場合の「日本に対する影響」について尋ねると、福田の答えは、東南アジアで共産勢力がさらに一段と拡大し、日本の貿易の機会が失われる事になるだろうし、日本の左翼は安全保障条約に対する抗議を再開するだろう、というのである。そうなれば、日本をいっそう中国に接近させることになるのではないかとマクナマラが質すと、今度は福田は、日本は中国との貿易を増大させるかもしれないが、基本的な政策には変更はないと応え、さらに、南ヴェトナムを「近くのぼや」にたとえて、「個人的」な意見として、アメリカを助けて「それを消し止める」ために日本はできる限りのことをすべきだと述べた。ただし「この点に関しては、日本の新憲法と国内の態度はそのような行動を禁じている」と付け加えた。
アメリカの政策に対する福田の気のない励ましは、日本政府の矛盾した態度を象徴している。
一九六五年一月の佐藤・ジョンソン会談
佐藤は日本の政治と貿易との分離政策をあげて、中国について話し合うことを避けた。彼はアメリカはヴェトナムにとどまるつもりかと尋ね、ジョンソンは共産主義者の脅威を前にして「撤退はしない」と言明し、佐藤はこの「断固たる立場を維持しようとする決意」を称賛し、「ともに頑張りたい」と繰り返した。それに対してジョンソンは、では、こちらが援助を求めているのに、なぜ「わが盟友たちはこぞって……橋の下に逃げたり、洞穴の中に隠れたりしている」のか、と切り返し、アメリカはヴェトナムにすでに四〇億ドルから五〇億ドル投じたが、「われわれは孤立しているように思われる」「イギリス、日本、ドイツは一体どういうつもりなのか」と問い返した。ジョンソンは南ヴェトナム政府に対する日本の医療援助について佐藤に感謝した。だが一方ジョンソンは佐藤に「旗幟を鮮明に(show the flag)」すべきときが来ており、日本が「苦境に陥れ」ば、「われわれは日本を防衛するために飛行機や爆弾を送る」、アメリカは「ヴェトナムで苦境に立って」おり、問題は「日本がわれわれをいかにして助けてくれるか」だ、と述べた。
ジョンソン・佐藤会談の結果としてのコミュニケには、中国、ヴェトナム、沖縄に対するアメリカの政策を日本に支持してほしいというジョンソンの希望と、関与は避けるという佐藤の決意の両方が表明されている。沖縄と小笠原諸島のアメリカ軍基地は「極東の安全」にとって絶対必要だということに双方は同意した。ただし状況がよくなれば、これらの島々は日本の管理に戻されるが、それまでの間は双方共同して住民の福祉の改善にいっそう努力する、というのである。ジョンソンと佐藤は台湾に対する外交的支持を確認したが、佐藤は日本の中国との貿易の権利を擁護した。「南ヴェトナムの自由と独立のために堅忍不抜の態度を持することが必要である」ことに佐藤は同意したが、再びいかなる関与も避けた。
二週間後日本は南ヴェトナムに一万一〇〇〇台のラジオ受信機を寄付した。
腹いてえwwwwwwwwwまさに戦後日本外交の真骨頂wwwwww
これを「痛快」と思うのは俺がアイマイ日本人だからなのか?「show the flag」って湾岸戦争のときも出てきましたね。アメリカン変わんねえなww
しかし表立ってアメリカ様に逆らえない以上、まさにもうこうやるしかない、という対応だよね。馬鹿正直に兵隊を送ってヴェトナムから恨まれた韓国と比べると雲泥の上手さだ。もちろん、その裏付けとして、経済力工業力ひいてはいっぺん戦争遂行能力をガチでアメリカに示している事があった上でできる芸当ではあるけど。
しかしアメリカってのはちゃんと全部公文書に残しておいて数十年後に公開するのが偉いですな。日本の国立公文書館は何をやっておるのだ?民主主義国としてもっと充実させんとまずくね?ちなみに上の二つの文章にもそれぞれ次のリファレンスがついている:
- Memorandum of conversation between Fukuda and McNamara, June 30, 1964, McNamara Records, folder: Mem Cons, Non-NATO, Vol. II, Sec. 3, R 73028, RG200.
- U. S. Dept. of State, Dept. of State Bulletin, 52, no. 1336 (Feb. 1, 1965), 135.
まーなんか色々おもしろすぎる本なので、今後また読み進めたらとりあげるかもしれない。