アウフヘーベン

岡康道, 小田嶋隆, 清野由美による「文体模写」「他人日記」「柿」より:

―― 今、マルクスなんかを読み直してみたりしますか。


小田嶋 劇作家の宮沢章夫マルクス資本論を読んだ本(『「資本論」も読む』)を出したけど、あれを読んで僕は大笑いしました。生まれてこの方、こんな分からないもの読んだことがない、なんて書いてあって、我々とまったく同じでね。そうだろうと思って。


岡 橋本治さんが『貧乏は正しい! ぼくらの資本論』とか、そういうよく分かる資本論みたいな本がたくさんあります。僕はそういうので理解しようとしたこともあるんだけど。


小田嶋 橋本治という人はわりとちゃんとしたインテリだから、ちゃんと読みこなすところがあるんだけど、宮沢章夫さんは高校生のときの俺たちと同じところで引っ掛かって、先に進めなくなっている。


―― どうなんですか、それはもしかしたら翻訳が悪いとか。


小田嶋 資本論は、そもそも原文で読むものだろう、というのが翻訳者の頭の中にあるんですよ。お前ら、こんな翻訳文なんかを読んで、マルクスを分かった気になるなよ、みたいな。一種、原文を読むための手助けにする副読本ぐらいの位置付けで、実にドイツ語の匂いがするような訳なんです。あそこでは「アウフヘーベン」という言葉を「止揚」と訳したけど、あれはそんなすごい言葉じゃなくて、ドイツへ行くと幼児がしゃべっているということを聞いて、僕は愕然としました。


岡 それって本当か。


小田嶋 うん。ドイツに行くと、5歳児とかが普通に「アウフヘーベンが何だ」とか言っていて、日本人は「わっ」と、びっくりするんだって。それぐらい日常会話らしいよ。


岡 じゃあ、もっと訳しようがあったわけじゃない。それを止揚なんて、よく訳したなあ。アウフヘーベン……。


小田嶋 まあ、普通の言葉をすごい言葉にしちゃったところに、やっぱり何かがあったはずなんですよ。


岡 弟がドイツ語の勉強をして、『資本論』を原書で読んだらすごいやさしかった、と言っていた。それを聞いて、俺はまったく読む気がなくなった。もう、生涯分からなくてもいいや、と。


小田嶋 所有という言葉自体、単なる「have」らしいですからね。英語で言う「have」をわざわざ「所有」と訳すんですから。


こういう頭の悪い訳って、

  1. 明治の頃の日本のインテリの知的レヴェルがまだまだ低くて、ちゃんと原文を理解、咀嚼してこなれた日本語にできなかった。(のでいちいち新語を造ったうえでの逐語の直訳うんこ文章にしかできなかった。)
  2. それを読んで育った次の世代がそういう文章こそが知的であるというさらに頭の悪い誤解をした。
  3. そういうので育った馬鹿の書いた文章を読んでさらに下の世代が以下同文。

という流れじゃないですかね。蓮實重彦あたりまで連綿と連なるこういう馬鹿の系譜を私は心底憎んでいる。


んで、たまたま今わたしが担当しているアラファト君がドイツ語ネイティヴなので聞いてみた。まずドイツにいるときにお世話になった http://wadoku.deアウフヘーベンを検索。しかるのちにどれがしっくりくるかを聞いてみたところ、

5.差し上げる [1] geben; schenken; anbieten. [2] aufheben; hochheben; erheben (besch.-höfl. Verb für „ataeru“ und „yaru“).
21.拾う [1] aufheben; finden; aufsammeln. [2] auswählen; auflesen.

が一番ぴったりだそうな。21についてはキノコを拾うとかそういう具体的な動作の場合だと。あとは

11.取り止める unterbrechen; aufgeben; aufheben; einstellen.

もありとか。それよりはだいぶ弱いが

14.廃棄する abschaffen; annullieren; aufheben; aufgeben; widerrufen; ungültig machen.
15.廃止する abschaffen; aufheben; beseitigen.

もあり。つまり要は哲学用語としては、「差し上げ」「持ち上げ」ぐらいでよかったわけよね?止揚(笑)てなもんだ。


似たような例としてはゲゼルシャフトゲマインシャフトというのがある。中学生の頃読んだ筒井康隆の「心狸学・社怪学」で出てきて「ふーんなにやら難しい概念なんだろうな」と思ってたが、ドイツに住んでみたらなんのことはないソサエティとコミュニティのことじゃねえか。前者が結社とか会社とか協会みたいな目的を持った集まり*1、後者が生得的な共同体よね。俺が金もらってた Deutsche Forschungsgemeinschaft (「ドイツ研究団体」ぐらいか)もゲマインシャフトだ。*2


というわけでそういううんこ直訳文章を見るたびに一緒にばーかばーかと嗤いましょう。



追記:珍しくブクマコメントをしかも敬愛するかえるさんから頂いたのでこれ書いた後で思いついたことを追記すると、「上に移動させる」「止める」の両方の語感を兼ね備えた近似としてはなかなか悪くない単語が日本語にはあるではないですか。「棚上げ」。明治時代の学者がちゃんと咀嚼できていれば、「棚上げ」という言葉にさらに哲学用語アウフヘーベンの薫りがまとわりつくことになって日本語がさらに豊かになったのに。どうせ翻訳なんて一対一でぴったりの概念なんてないんだからいちいち新語を造って逐語訳する*3より内容をちゃんと咀嚼してうまくほぼ同等の表現をするのが大事よね。(物理の教科書の翻訳でも内容を理解してない人が書くと、あるいは内容を理解してない箇所の文章は、てきめんに訳が酷くなってよく分かる。)


*1:一般の「社会」というのもソサエティ=目的を持った集まりの方に分類される、というのは僕の(非民主社会で育まれた)日本人的語感にとってはちょっと不思議というか面白いんだがどうか?

*2:そういや以前「余談だが物理屋は実際はソサイアティであるものをコミュニティであるふりをしたがる傾向がある。僕も含めて。物理という学問に内在的な何かがあるのかもしれない」と書いた()が、一般のドイツ語でも研究者の集まりはソサエティではなくコミュニティなんだな。このへん誰か分析して見せてくれ。研究という目的を持った集まりというよりは生まれながらに研究者という生き方を選ばざるを得ない業を持った人々の集まりって感じなのかね?

*3:これはどっちかというと英語のセンス。英語ではともかく野放図にバンバン新語を造っていく。それによって世界一醜い言語の一つとなってると思う。頭の悪い人が英語で考えるととかく「知ってるか知らないか」が全てになりがちで注意が必要。