おーっと

おりたさんがリンクしてくれてるようだ。
ファルージャ事件での日本人人質(いわゆる「自己責任」ってやつですか)関係は飽きた最近web遊びを控えててまったくフォローしてないんですが(NYTすら読んでない)なんかあたらしい事実でも出てきたんすかね?めんどうなのでとりあえずあっしは例えば「イラク武装勢力日本人拉致事件総合スレ」@軍板みたいなツッコミビリティの高い場所での議論の推移を後で眺めるだけにしておく。
まーそれはおいといて日本のマスコミは糞という点に関しては、flapjackさんから辿ってウガヤさんの「なぜ朝日新聞社を辞めたのか?」が面白かった。朝日新聞なんて、日本の新聞の中ではまだしも読んでて面白い方だと思うけど、そこでさえこんな有り様というのが(まー「紙面の内容からしてこんなもんだろう」と思ってた通りとはいえ)具体的に活写されている。

 なお、例え批判のためであっても、朝日新聞社の社員を「エリート」と呼ぶのは間違っている。やめたほうがいい。彼らは、欧米の本物のエリートに比べると出自も人間性もあまりに矮小で、その名に値しないこと、そして、上に述べたような卑しい金銭感覚と、人間的浅薄さ(誘惑に弱いことなど)を、自分でもよく知っている。だからむしろ、彼らは「エリート」と呼ばれたがり、自分たちが「エリート」だと錯覚したがっている。「エリート」と批判されればされるほど「あ、僕たちはやっぱりエリートなんだ」と喜ぶ。「エリート」としての義務を果たしているかのように勘違いし、喜び、増長していく。「我々は批判されている→エリートは批判されるものだ→よって我々はエリートだ→よって特権を行使できる→よって特権を変える必要はない」と奇怪極まる、ねじれ切った解釈をやり始める。それくらい現実認識が歪んでいるのだ。週刊誌の朝日批判記事を彼らが喜んで読む(朝日批判の記事が出た週刊誌は、社内の書店ではすぐに売り切れる)のは、別に彼らがマゾヒストだからではない(そういう人もいるかもしれないけれど)。自分たちが雑誌に取り上げてもらえるような「エリート」であることが確認できて、ウレシクてウレシクて仕方ないのである。だから、ぼくは週刊誌の朝日批判記事が「天下の朝日新聞」とか「エリート集団」とか書いているのを見るたびに、ため息が出る。それこそ、彼らが待ち望んでいた言葉なのだ。

わかるわーw
日本の問題というのはエリート教育の不在、というのは大きいかもねん。特に文系ジャンルは、まっとうなエリート層がおらずエリート教育をする場も存在しないから、その訓練も受けておらず能力も矜持もない人間が本来エリートがやるべき仕事をやることになってしまっている。(いっぺんそういうシステムが確立してしまうと、職を全うしたいという健康なエリート意識を持った人間は責任ある地位につけず弾かれていく。)
日本のマスコミに対しては(「批判」ではなく)それにもっとも相ふさわしい「軽蔑」という態度で臨むべきであろう。

もいっちょ「朝日新聞はなぜニューヨークタイムズに勝てないのか?」

もうひとつNYTをぼくが愛好する理由を挙げる。ページが多いこととも関係があるのだが、記事が詳しいのだ。そして、一本の記事を読めばその話題についてすべて頭に入るように書いてある。 「ジャンプ」と言って、フロント面から中に記事が途中で飛ぶのがうっとうしいという人がいるが、日本の新聞よりこっちのほうがずっといい。
例えば、10月7日・8日に起きた円ドル相場の乱高下の記事を見てみよう。
1ドル=130円台から一日で120円台に下落、8日には111円台まで下がる。ところが、8日午後になって急反発、119円台まで戻る。この急反発の原因は何だったのか。
朝日新聞はこう書いている。
「午後になって為替介入への警戒感が急速に強まったため」(10月9日付け朝刊)だそうである。分量はたったの2行だ。これでは何のことか分からない。
同じ部分をNYTで見てみよう。9日付けビジネスセクションだ。
「複数の外為トレーダーによると、ニューヨーク連銀トレーディングデスクが、通貨ディーラーに市場の状況を尋ねる電話をかけ始めたあとからドルの下落は速度が落ち、そして反転した。ニューヨーク連銀は、外為市場でのその日その日の連邦政府の取引を担当している。通常、市場が混乱していると認識したときにこうした連絡をする。しかし、トレーダーの中には、こうした問い合わせを、連銀が『当局はドルを安定させたいと望んでいる』というサインを送るため、ドルを買う準備をしているのではないかと受け取ったものもいた」(14行)
どちらが分かりやすいか、一目瞭然である。NYTを読めば、NY連銀がどんな仕事をしているのか、現場で何をしたのか、それを市場がどう受け取ったのか、市場の慣習とは何なのか、背景知識からコアとなるニュースファクトまで完璧に入っている。NY外為市場についてあまり知識のない人でも、これを読めば、なぜドルが反転したのか一発で分かる。記事一本で小宇宙が完結しているのだ。
朝日新聞の「為替介入への警戒感が急速に強まった」という記述は、あまりに漠然としていて何のことか分からない。まるで市場がいい加減な心理だけで動いているように読める。
NYTのように実際のファクトをひとつひとつ書いてあれば、なるほどそれなら早とちりする奴は慌てるだろうな、と分かる。 だが一方で、記者の憶測は注意深く省いてある。ファクトだけを丹念に積み重ねている。よって、リアルだし、信頼感がある。
さらに言えば「為替介入への警戒感が急速に強まった」という言い方は、金融界に慣れた人間だけに通じる一種の「方言」である。仲間内でしか通じない特殊言語と言ってもいいだろう。金融界に知識のない読者にも分かるように書けば、NYTのような書き方にならざるをえない。
これは、要するに誰を読者として思い浮かべながら記事を書いているか、の差が出ているのだ。金融村の官僚たちや銀行家、アナリストだけを想定して書くからこうなるのだ。「ね、為替介入への警戒感が急速に強まった、と言えば、何のことか分かるでしょ?」と言って甘えているのだ。
NYTは、金融界に知識のない普通のおじさんやおばさん、学生にでもたやすく理解できる。外為相場のからくりが、普通の人にも身近になる。丹念に読んで知識を吸収すれば、政府だろうと金融だろうと遠い存在にはならない。
よくNYTはインテリの新聞だ、と知ったかぶりをする日本人がいるが、それはウソである。試しにニューヨークの地下鉄に乗ってみればいい。どう見てもワーキングクラスの人だって、NYTは読んでいる。ホームレスが道ばたに座って読んでいるのを見てびっくりしたことさえある。
要するに、NYTの方が「権力(いうまでもなく金融も権力である)の情報を人々に還元する」という姿勢が徹底しているのだ。「権力情報の開示」は、民主主義には絶対の要件だ。それを忠実に実行しているのである。この精神が日本の新聞には乏しい。

ついでに言うと、同じ紙面で朝日新聞はドル暴落の原因を「米国経済の失墜に対する懸念を引き金とする」と書いているが、これは事実誤認である。ぼくも取材したので言うが、今回のドル暴落の原因ははっきりしている。世界同時株安で大損をしたヘッジファンドが、穴埋めのためにアメリカ国債を売り、その資金だった日本で借りた円建ての借金を返したから、大量の円買いが起きたのである。
「ドルは欧州通貨に対しても売られるなど、ドル暴落の様相」とも書いているが、これも誤り。ドルはポンド、マルクに対してはほとんど動いていない。相場の数字チェックを忘れたのだろう。初歩的なミスである。
だから、同じ紙面がいう「パニック感が市場を覆っている」という記述も、ウソである。パニックしていたのは記者の方だったのだろう。
ファクトは間違いだらけ。しかも記者の憶測が充満している。あまつさえ方向を間違え、ミスリードしている。ドル暴落という天下の一大事に、この程度の記事しか載せていないのだ。NYTと比べて、なんと質の低い報道だろう。

日本にも早く「事実」と「自分の意見」がごっちゃになってない記事が署名入りで載るクォリティペーパーが生まれるといいですね(遠い目)。