ミュンヘン(スティーヴン・スピルバーグ監督)

phantom84さんから「これは何かの呪いですか?」というような長いコメントを頂く(いやいやそんなことをいってはいけませんな書いて頂けるだけであっしはもういやほんと)。いちいち話をまとめてらんないとか言ってたらいつまでたっても返事できなさそうなのでメール的逐次レス。

以下はネタバレを含むので映画を見てから読んでください。(上映館情報は公式サイトへ

ブログの一回分(一日分)としては、ずいぶんな量を書いていらっしゃるので感心してしまいました。よく、お調べになったものですね。ぼくはまだ、ネタ本のほうを入手してません。

いやこれは溜まりに溜まった膿が(おろおろ)。ネタ本ぼくも買えなかったorz 日本に帰ったら文庫の安いのをアマゾンで買おうかと思ってます。

さて、ご指摘の「プロパガンダ」ですがミュンヘン事件は、一見するとPLOが先に仕掛けたので悪者、モサドはやり返したほうだから正義(または善玉)という、おかしな誤解が生じやすい題材じゃないかと思い、「プロパガンダ」という言い回しを使いました。パレスチナ、ひいてはアラブ社会とユダヤの問題は、ほとんど世界史そのもののような根深い問題で、私が大学入試で必要な分を詰め込んだだけの世界史の知識では頭底言及できないような話題です。しかしながら、近年200年ぐらいに限って言えば、ヨーロッパ諸国が植民地を経営していた頃の彼らの論理と、大英帝国の二枚舌、三枚舌外交が、問題の複雑さに拍車をかけたことは間違いないと思います。映画の世界で、その部分に少しでも光を当てた作品は僕の知る限りではせいぜい「アラビアのロレンス」ぐらいです。まあ、商業映画としては盛り上がらないでしょうからね、そこらへんの事情を描いても。だから、ショッキングな事件を題材に選ぶのは、映画としては別に非難されるべき問題ではないのですが、「終わりのない報復合戦のむなしさ」を描きたいなら、別にミュンヘン事件でなくてもいいんじゃないか。スピルバーグの力量があれば、なおのことと思うのです。で、私はいやみな人間なので、「ああ、きっと離婚の慰謝料で金繰りが厳しいから、確実にアカデミーを取れる作品を作ってきたな」と勘ぐるわけです。

これはですな、そういう歴史的な背景までおさえようとしたら、これはもうどうしたって大局から眺めた鳥瞰図的「おさらい」をせざるをえなくなると思いますが、スピルバーグ監督って昔から鳥瞰図ではとらないという事に、あくまで地面を這い回る人々の視点に、拘ってきた人だと思うのです。
あと、欧州ではユーロニュースやBBCワールドで毎週のようにパレスチナ人が出てくるので(そして人類にビルトインされた感情、判官贔屓によりそれらはおおむねパレスチナよりなので)、パレスチナ人側の立場があまりかかれてなくても、そんなに違和感はなかったです。でも日本やアメリカで見るとたしかにちょっとイスラエル寄り過ぎるかもしれませんね。でも上で書いたとおり、スピルバーグは視点を固定することのリアリティに拘ってる人だと思うので、その範囲でどうバランスをとるか、に知恵をつくしているように僕には見えました。
ミュンヘン事件は昔から撮りたいと思って温めてきた題材のようですよ。先ほどリンクしたスピルバーグ氏を非難する記事などを読むと雰囲気が分かりますが、シンドラーのリストを撮り、プライベート・ライアンを撮り、そういうキャリアと信用の積み重ねがあってはじめて彼がこれを(極秘、短期間という制約の下で)撮れたのである、なまなかな覚悟で手を出せる題材ではない、ということは言えるのではないでしょうか。
そもそも金がほしけりゃあんなアメリカを他者として描くんじゃなくて「ジャスティス合衆国の協力の下、今、正義の戦士たちが悪を撃つ!」みたいな映画にしちゃえばもっといくらでも儲けられると思うんですよね。だいたいアメリカだとアカデミーの結果がでるまでには興行成績の勝敗はついちゃってるんじゃないかな(知らんけど)。

映画にこめる主義主張はさておいても、チームメンバーの描きわけがいまひとつなのは譲れません。そこはいい加減にして、とにかくエリック・バナの演技を見てくれということなのでしょうか。だとしたら、あの汗の飛び散る(おそらくは射精の隠喩のつもりなのでしょう)ファックシーンは、それなりの必然がなくもないのですが、引用されている冷泉氏のように「過去をかなぐり捨てるかのような濃厚な性愛描写」と誉める気にはまったくなれません。妊婦さんのおなかのエフェクトは、すごいなと思ったけど(まさか、女優さんが、撮影当時、都合よく妊娠していたとは思えないので)。
odakin先生が「弾着は重低音が効きすぎて」とおっしゃるのは、ごもっともと思います。ただ、映画的リアリティと、マジの、ほんまもんの鉄砲のリアリティとは違うと思います。スローで弾着を映し出したときに、低音の効いた音をかぶせてあげないと、たぶんすごくちぐはぐに感ずるはずです。ホントは、もっと「パン、パン」と軽い音なんでしょうけどね。そういうところで映画的リアリティをきちんと作っているのに、工作員がどじを踏むのも変なリアリティとして演出しているのがどうもちぐはぐなんですよ。だから、結局は「サスペンス映画が撮りたかったのか、ヒューマンドラマが撮りたかったのか、どっちやねん」と、私はいらだってしまったのです。

「エロさ」については僕もまだ書きたいことがあるので後でまた書くと思います。すでに溜まりに溜まった他のネタがこなせれば、ですが。なお、最後の方のエロシーンがイマイチ、というのは僕も前回の終わりに書いた通り同意です。あれどうみても柳沢きみおでしょw
「サスペンス映画が撮りたかったのか、ヒューマンドラマが撮りたかったのか」に関しては、あまりに映画観が皮相的かつ浅薄である、と言わせていただきましょう。33年半の生涯でみた映画が30本ぐらいしかない私からw
御大シュピールバーグ様にとったら、そういうあるジャンルにはまった面白い映画を撮る、なんてのは簡単すぎてつまらない、チャレンジしがいのない行為なのではないでしょうか。なんともいえない、今まで感じたことのない、ある感情、というか感覚、というか感慨、というかそういったなにものかを客に感じさせて、かつ商業的にも成功する、というぐらいのゴールを設定してそうな気がします。
「わざと」である事の傍証:『ミュンヘン』嫌がらせポインツ
そうそう先生呼ばわりはやめてください先生呼ばわりは。曰く「先生と、よばれるほどの、馬鹿じゃなし」。

最後に。私は国境線を越えたことがないので、あまり大きなことを言う資格はないのですが、アメリカもヨーロッパも、イスラエルも、なんだか同じ湿度、気温に写っているように見えてしまい、字幕か建物を見ないと、今主人公がどの国にいるのか、まるでわかりませんでした。大体、ラストシーンなぞは「そうか、イスラエルでも、アパートの前の階段にみんなで座っておしゃべりをするのか。ニューヨークだけの風俗じゃないんだなあ」と思ってしまったぐらい(そしたら、ニューヨークだったよ_| ̄|◯(だめだ、わかってない)。

ヨーロッパは各国の感じがよくでてると思いましたよ。ニューヨークでのシーンは僕も全て(既に書きましたが最後の字幕がでるまで!)イスラエルでのシーンと思ってましたが_| ̄|◯

長々と、失礼しました。研究と子育て、がんばってください。

ありがとうございます。(子育ての苦労は現在おくさん一人に背負わせてしまっておりますが^^;)