id:finalvent さんとこのコメント欄より

経緯

以下リンク先での「原理/定理」の話については本質ではなかったので適宜改変して略、全部を読みたければリンク先コメント欄参照。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060302/1141288947 より:

2006年03月01日 finalvent 『「量子力学では、観測という行為そのものが観測対象に影響を及ぼすことに注目し、その結果が不確定性原理として結実したが」……んなぁ。』

に対してコメント欄で

量子力学では、観測という行為そのものが観測対象に影響を及ぼすことに注目し、その結果が不確定性原理として結実したが」
これ別にそんなに間違ってないと思うけど。どういう意味で「んなぁ」ですか?

と聞いたら

odakinさんが、これでよろしというのであれば、そうなのかとも少し思います。私は違うと思っていたので(観測系は事象に相関ではあっても影響を及ぼすわけではない、と)。

といわれ、あたくしは

僕は、まさに「影響を及ぼす」という言い方がピッタリ、という理解です。たしかファインマンさんの教科書がそのような物理的イメージを鮮やかに描き出してたような記憶があります。暇と興味があれば見てみたら面白いかもしれません。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000077155

と答える。

ああ、そのファインマンあたりもちょっと疑問なんですよ。なんかタメの反論みたいに聞こえるかもしれないので、そうでもないんですが。このあたりの話、随分以前、あさん、というかたがされていて、そうだよねと思ったものでした。シュレディンガーの猫でも波動関数崩壊にしても、観測系の「影響」ではなくて、確率的事象に本質のことだと思うわけですよ。

で、そのリンク先を聞いて教えてもらう。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20040623
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20040624
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20040625
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20040626

以下僕のレス

 最初むこうのコメント欄に書こうかと思ったが長くなったのでこっちで書く。上の4つのリンク先での話が跳びまくってるし(長いよ!)纏める気力もないので箇条書きで。

大森バイアス

 物理屋、あるいは日本の物理屋、というものに対して大森バイアス(たった今造語)がかかってる気がします。大森荘蔵さんは物理の論文を一本も書いていない、サイエンスがなされている現場について何も知らないど素人である、という点はオッケーですか?(一本も論文書いてない奴に何が分かる!^^;)このリンクも参考になるかと思います:
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/FN/iinuke.html
上のリンクとも関連しますが時間というものを哲学的に語ろうと思うのであれば「時間とエネルギーの不確定性についてどう理解してますか?」というのが一つのポイントかと思います。

波動関数の遍在性

 波動関数の遍在性については、例えば一粒子状態については、運動量が無限の精度で確定した状態でなければ、空間的に宇宙全体に遍在しているわけではない、というのは理解されてるんですよね?たしか「その広がりは釣り鐘状に分布する」って御自身で書いてたし*1。だから、「携帯電話」は(十分よい精度で)空間的に遍在せずに偏在している。

EPR相関

 で、EPR 相関は、相互作用した2粒子がその後相互作用せずに遠く離れたとこまで飛んでいったとして、どっちかが最初に観測(巨視系との相互作用)によって固有状態に跳んだらもう一方も瞬時に対応する状態に跳ぶ、という話である、というのもオッケーですか?だからがんがん相互作用してる我々の日常の系には適用されない話です。
 僕としては、EPR の系は巨視系になってない、たまたま距離的に大きなだけの量子系である、という風に見るのが妥当と思います。クラスター性(距離が十分離れた系は無関係であれかし)を「十分離れた=量子相関がなくなるぐらいの距離」とみりゃ、トートロジーだという話。*2

サイエンスは実際のところ反証という物をどうやってやっているか

 サイコロを振る。1の出る確率は、トリビアの泉ではないが、正確に1/6ではない、が、それはトリビアの泉であって、モデル的には、1/6となるかに思える。が、ここで、「サイコロをふって1の目の出る確率は1/6」という命題は、どのように反証されるのか?この冗談でわかるように、反証はできない。

これは全く意味不明。サイエンスでの反証実験は、実際にあるサイコロを1万回振って「このサイコロをふって1の目の出る確率は1/6」という帰無仮説は信頼度95%で棄却される、とかいう形になる(今信頼度と試行回数の数値は適当だがもちろんちゃんとやればちゃんと決められる)。信頼度はサイコロを降る回数をあげればいくらでもあげてゆける(系統誤差はまた別の話)。

時間の可逆性というよりは時間並進不変性かな

 サイコロの例で言ってた「確率は時間の可逆性を先験的に含み混んでいる」については、「確率は時間並進に対する物理法則の不変性を暗に仮定している」と言っていただきたい。これも、量子力学的効果を我々が観測できるような範囲においては、十分よい精度で成り立っている。宇宙全体の波動関数とか、あるタイプの宇宙が実現する確率、とか言い出すとだんだん最先端の(=まだ決定版の理論がない)領域になってしまいますがw

finalvent さんとこでの議論について

 「あ」さん(と svnseeds さん)が、finalvent さんが「ベルの不等式が人間の認識の限界を証明している」と主張していると取ったのは、全くの誤読だと思いました。そんな主張はしてないですよね?その後 finalvent さんも釣られてそっちに話が行っちゃってるけどw 以下の「あ」さんとの議論はグダグダでちょっとパス。

宇宙は量子的か

 で、いっちゃん最初の話は「本当の宇宙とは人類のセンスデータに依存している」という finalvent さんの宗教的信念を共有するかしないか、というだけの話ではないでしょうか。僕はしませんし大多数の科学者もしないでしょう。人類以前から宇宙はあったというのは観測で十分信頼にたる程度に確定してますし(興味があればどういう議論があるのか示します)、人類滅亡後も宇宙が存在することを疑う科学者はいないでしょう。
 どうも誤解があるようですが宇宙全体に量子論が適用されるのは本当に一番最初の最初だけですよ。ビッグバンから1秒後にはもうバリバリの古典論(といえば非量子論の意味です)だけで支配される世界です*3。我々が見てる宇宙なんてもう古典も良い所。“宇宙の波動関数”(というものが考えられるとして)は、収縮しちゃった後の世界です。観測というのは何も人間がいなくてもマクロ系との相互作用があれば観測です。

論理学について

 「天動説もニュートン力学も100%正しい。アインシュタイン特殊相対性理論も100%正しい」は「正しい」という言葉がオレ定義になってしまっています(「どちらも正しくないという事で決着がついている」が「正しい」w)。おそらく finalvent さんの「正しい」は「理論の適用限界の範囲内では正しい」という意味だと思いますがそれだと finalvent さんのここでのステートメントは単なるトートロジーで何も言ってない言葉遊びでは。サイエンスはもっと広い枠組。

物理屋は単なる技術屋ではないぞ

 どうも、finalvent さんは「本質的に不可分なものとして宇宙の果てまで偏在している」とか極端に外挿した無限の精度の実験を要する議論をして、それに対して物理屋はものを考えてないとか言ってしまうキライがある。物理屋の野心への信頼感が足りない。考えてないわけないじゃん。現行で外挿できるギリギリ(よりはるかに先)までムリムリ考えて話を進めてまんがな。論文にするときは「ト」にならないように節度を持って書く、っていうかそりゃそんな理論の適用限界の遙か向こうの斜め上の話してもサイエンスとして人類の遺産として積み上がっていかないから書かないけどさ。「それなりの裏付けなしにテキトーに言った事がたまたま後から正しかったと分かっても、それはサイエンスとしては無価値だ」という倫理観ですな。いうだけなら誰でもできるのよ。
 「事実」だけを扱って「解釈」を口にしないというのは、日本の科学者がそうだというなら世界中の科学者がそうだと思いますよ。でも実際は論文でも「解釈」はします。上で書いた節度は保つけど。「finalvent さんの問いに答えるには今の理論がまだまだ不十分だ」という認識が足りないのではないかな。性急に求められても出ないもんは出ない。
 あとですな、ここでいう意味での「解釈」の段階ではサイエンティストは興奮しない。EPR も、ベルが、この量を調べればどっちが正しいか白黒つけられる、という事を示し(てさらには実験で白黒がつい)たからこそ、萌えるわけで、少なくとも「この量を調べれば白黒つきます」という段階まで行くまでは、「解釈」は完全に各々の自由にまかされている。もちろん「解釈」にすぎなかったものを決着がつけられるところまで持っていけた人は、ベルのようにヒーローになる。
 あと上のリンク先の終わりの方でもあるけど、有効理論という考え方は腑に落ちてますか?

finalvent さんとこでの議論について再び

 id:svnseeds さんとのやりとりについては id:dalmacija さんの

ここでのsvnseedsさんの「僕の世界は意味に満ち溢れていて豊饒至極です(笑)」というスタンスは、現代の大きな病根だと思うのだけれど(たぶん山形浩生的な)、それに対するfinalventさんの説明は最低だとおもう。

に秘かに禿同しておこう(参照)。思うに経済学を勉強してても

「私の知覚には限界がある…それはあたりまえだし、つまらない話です。そうではないのです。パスカルのように私の知性はそれを越えて畏怖に出会っているのです」、それは、知覚の限界を知性は越えるということだ。その問題だ。

あんましこういう感覚には出会わないのではないかな。やっぱ哲学でも科学でもいいけど自然を相手にしないと。*4

やっとそもそもの問題、観測は影響か相関か。ふぅ

 んでそもそもの、観測の問題(影響か相関か)については、finalvent さんはエヴェレット解釈の人なのですか?そうだとすると影響じゃなくて相関だと言いたくなる気持ちも分からんでもないですが、そもそもエヴェレット解釈を理解していますか?実は僕はちょっと納得してない部分がある。

これを読め!

 どうもですな、実際にサイエンスをやってる人の書いた一次資料じゃなくて二次資料ばっかし読んでいるキライがあるように見うけられてしまうのです。で、EPR の原論分と Everett の原論分(それからこれはおまけだがベルの不等式が自然界では破られているという証拠を初めて示した実験の論文)をダウンロードして折詰を作ったので、落とし前に読んでください、せっかく頭いいんだから。エヴェレットはともかく EPR は普通に理解できるはず(どちらも量子力学のイロハのイの知識でちゃんと読めます)。

(追記)Bernard d'Espagnat さんについて

どっからこんなマイナーな人を見つけてきたんですか(面接で「君はあまり論文を書かないタイプみたいだけど」とか言われた俺より被引用数が少ないぞw)
SPIRES の論文リストから「これを読め」というのがあれば言ってくれれば読みますよ(手に入れば)。

*1:場の量子論にいっても、運動量の固有状態を、(運動量空間での)釣り鐘状に重ね合わせることである空間座標のまわりに釣り鐘状に局在した波束を作り、これを座標の固有状態に対応するものとする。

*2:そういう言い方をして、「量子力学の原理とローレンツ不変性とクラスター性を要請すると有効理論は自動的に場の量子論になる」という議論と本当に両立できるのかはちょっとすぐ示せないので宿題。

*3:一回一回の粒子の散乱は場の量子論で計算されるけど、粒子達を量子的全体としてではなく、バラバラの粒子がたまに散乱する、というような描像で考えればよいという点で古典的。

*4:個人的には一般相対論が生み出す数々の深遠な定理を見るときにその背後にあるなんかに触れた気がしてゾクゾクしますな。なんで?量子重力の古典有効理論にすぎないはずの物でしょ?重力これ赤外と紫外がぐるっとまわって繋がってるよ絶対、って感じの。量子重力まで行けば finalvent さん御執心の観測問題も解ける、というかすっきりとした枠の中におさまってるはず。その意味では、しょせん散乱理論に過ぎず観測問題になにもパースペクティヴを与えない弦理論はまだまだ入口であるはず。以上個人的感想/妄想。