ふとこんなスレ

 何か一部で誤解があるようだが私は(もう)2ちゃんねらーではありませんことよ。今ではニコ廚あるいはニコ坊と呼ばれるソレにクラスチェンジしております。
 読んでんのはまとめサイトだけ。
 というわけで新千歳空港の10分お試し wireless LAN で眺めてたはてブから辿ってこれ:

http://news4vip.livedoor.biz/archives/51059161.html

 さわやかに「結婚は金だ」という真理を言い切りまくる本文の奥様方に対して※欄には怨嗟の声が。私自身?ノーコメント(^^;
 この奥様方はちょっとまえ豊中市立図書館のネット予約で借りて読んだ稀代のマーケター岡田斗司夫の「結婚ってどうよ!?」の言葉を借りれば*1『セックス付きの家政婦』型ですな。なんかオモロかったので関連文章を引用してみようか(以下強調は原文ママ):

「でも、そんな男にばかり都合のいい結婚、女の人は納得しないから成立しないでしょう」
「成立してるよー。いっぱい! 何でかというと、女の中に裏切り者がいっぱいいるから。男の中でも、所得が高くて見栄えのいい男には、『私、お料理するの大好き〜』とか言って家政婦でもいいという女の子がカーッと食いついてくるわけだよ。それをみんな理想のカップルとして見るわけだろ。収入も良くて顔のいい男が、セックス付きの家政婦をカンカンカンカン落としてるのを見たら、男も女も『やっぱりあの手か!』と思うわけだよ」

男から見ると女にばかり都合のいい結婚というのは女から見ると男にばかり都合のいい結婚に見えるわけですな。おもしろいね。


 しかし※欄みてたら一方的に陳列棚に並べられて上から目線で選ばれるというのに耐えられない男性が多いようですが、えー例えば※139:

どういう基準で女性は旦那を決めるか色々書いてあるが、
それ以前に自分の基準で相手を見定めるというその商品を選ぶような立ち位置が不快に感じられるんだよ。
男は陳列された商品ではありません。

この気持ち、とてもとても共感できるのだけれど、しかしそもそも女性の側はそりゃもう子供のときから当然のようにそういう扱いを受け続けながら育ってきてるんですけど、というのは看過されがちなのでしょうか。といって分かりにくければ例えばこの文章*2でどうだ:『「かわいい」と言われること

 女性は一般に、「対象として評価されよ」という命令(「対象として評価されたい」と欲望せよ、という命令)を受け、そして実際、倫理的にも(!)「対象として評価されたい」と欲望するわけですが、同時に「対象になりきってしまったら、主体としてのわたしはどうなるの」という二律背反を背負っています。多くの女は思春期にこの葛藤を潜り抜け、ほどほどの対象っぷりと主体っぷりを使い分けることを学習するのですが、中にはこじらせて食べたり吐いたり手首切ったり、いつまでも引きずってしまう人もいます。

 なかなか相手側の立場に立つ(事を想像だけでも試みてみる)というのは難しい物ですね(いや俺も苦手)。わりと(昔の)少女マンガとかでは超重要メインテーマとしてこれはあるので、この辺男でもヲタだとかえってそういうので触れててちょっとは想像してみる事ができるかも。


ところでもっと余談の余談だが上の岡田斗司夫の結婚本から:

 もし仮に、「少しだけ、彼が多く払っている」結婚生活*3をしたとして、女性はそれを対等だと思ってるかもしれないけど、「少しだけ」には意味なんてないんだ。負担の軽い重いは男の人の腹ひとつになっちゃうんだ。よく彼女が食事の後にコーヒー代だけおごるねって言うのがあるけど、あれは男は『払わせてあげている』んだよ。彼女の心の負担が減るように。言ってしまえば、出張から帰ってきたお父さんに、荷物をもってあげるねと娘が言うと、お父さんが一番軽い荷物を渡す。あれと同じだから

このリクツってどうなの?なんとなくこれが成立すればいろいろと使えると思ったんだが(いやうちがこれってわけではなくてというかうちはおくさん大車輪ですがまぁ一般論として色々と)、なんか成立してない気がするんだよね。誰か突っ込んでみてくれないかしらん。

 相変わらずとりとめもなく脱線しまくって今日はこのへんでおしまい。


*1:余談だがこの本内容はまぁ面白かったが小説形式でまとめた共著者の渡辺由美子さんの批判精神の足りなさゆえになんか登場人物として出てる岡田斗司夫が guru みたいになっちゃってて変だった。

*2:まーこの石倉さんもむにゃむにゃ(略)。さらに全然関係ないが同じところのこの文章もなんか人間関係の難しさを身につまされる:『一方で、言わば「ナメられたい」という欲望もあるわけで、例えば恋愛という場に「ナメられ」欲を押し込め切り分ける、という対処法などがあるわけですが、これもそう簡単ではなく、「ナメられ」切らない程度に「ナメられ」るには、「自分をナメない人にだけはナメられたい」という逆説的目標を達成する必要が生じたりもします』

*3:ここでのカッコ付きの「払っている」は文脈上必ずしも結婚する上での生活費の意味ではなく、諸々の物質的精神的限らずの負担の事。