緑ゆうこ「若いフリをするイギリス人・きまじめに老いる日本人―人生後半を幸せに生きるヒント」

この本は中年にさしかかった僕の人生の後半を変える、というか手元に置いて折々に読み返す事でポジティヴな影響がある、と直観したので、みなさまにも御紹介。広く読まれるべき本だと思う。*1
内容も面白い上に本全体の体裁もとっても明晰に構造化されている。ちゃんと学問の訓練を受けたことがある人なんじゃないかなと思った。(事実と主観がごっちゃになった文章書いてるような日本の新聞記者にお手本として読ませたいくらい。*2


序文はこんな調子。

はじめに 「ミッドライフ・クライシスから老後への長〜い道のり」――老後の心はいつ決まる?

「大人はみんな子供だった」
 こう言われて反論する人はいない。万人に喜ばれるセリフのひとつだ。まさか聞いて怒る人はいない。
 どんな大人に育つかは子供時代で決まる。精神分析だってカウンセリングだって、子供時代まで遡るのが常識だ。「七歳のあの時のトラウマが今、一郎の潜在意識に働きかけ……」なんて具合に。
 それなのになぜ、この続きをみんなでもっと嬉しそうな顔をして言わないのだろう。
「老人は昔、み〜んな中年だった」
 どんな老人に育つかは中年時代で決まる。もっとはっきり言えば、中年時代のトラウマで。
 トラウマは「精神的外傷」なんて訳されているけれど、つまり心に傷を残す痛い思いのこと。そして中年とは本人が気づかないうちにはじまっているのだ。
 老後は中年で決まる。そりゃそうだろう。今、流行りのテーマでもある。もちろん、中年時代の不摂生が老後にたたるとか、賢い投資で中年のうちに老後の備えを、なんて健康面や経済面の話ではない。精神的な次元の話だ。
 今さら何でこんなあたり前のことを言い出すかというと、わたし自身この十五年ほどイギリスに住みながら、夫の両親であるイギリス人の舅・姑の老いをじっくり観察し、老人介護にどっぷり浸かり、日本人に負けず劣らず大変な彼らの老後につきあって一喜一憂しているうちに、ご多分にもれず「次は我が身」の心境になったからだ。
 イギリス人の夫と結婚した時には、将来彼の親をイギリスで看ることになるとはまったく予想もせず、姑のちょっとした病気をきっかけにキューガーデンズ(ロンドン郊外)の彼らの家の近くに引っ越しした時も、そのまま十五年ずるずると〝他人の老い〟に縛られることになるとは思ってもいなかった。
 しかし、今では、彼らの老後と日本人である自分の老いを結びつけずにはいられない。老いには国境がないのだ。
 特に舅が死んでからは、目も見えず口もろくにきけず寝たきりになってしまった姑をようやく老人ホームに預け、わ、自由! と喜んだのもつかのま、姑がホームで毎日どんな扱いを受けているかを見てしまうと、「楽しい老後プランニング」なんてのんきなことは言っていられなくなった。そこでわたしなりに身近な老人を観察しつつ研究してみたら、やっぱりここに行きついた。老後の心は中年で決まる。
 ではこの先どうするかというと、先行き不安になった時、人はお手本を求めると良いとされる。今風に言えば「ロールモデル」というやつだ。しかしそのロールモデルがいない。イギリスにだっていない。外面が良くても、実は内では家族が困っていたりする。
 死ぬまで本人も幸せで、まわりにも迷惑をかけないステキな老人? そんな人、いたかと思うととても立派過ぎて参考にならない。そもそも九十歳を過ぎて目も耳も歯も性格も良く、頭もしっかりガンもなし――なんて遺伝子が頑丈なだけじゃないのか?

「遺伝子が頑丈なだけじゃないのか?」wwwww

 確かに努力も大事だろうけれど、平凡な遺伝子を引きあてた身近な老人を見てみると、みな老化現象に悩む病持ち。病は鬱を呼び、鬱はかんしゃくや自己憐憫を呼び、自己憐憫は人を遠ざけ……ロールモデルどころか反面教師ばっかりだ。
 でも、反面教師の中にもいろいろいる。同じ寝たきり紙オムツでも、心穏やかな人とみじめーな人と。脳卒中で半身不随・言語障害あり・目は見えず・大小排泄不全・そのうえ貯金ゼロの思いっきりみじめな状況でもなお心穏やかに老いていられる人がいたら、その人こそ本物のロールモデルだろう。
 いろいろ観察した結果、やっぱりここに戻った――老後の心は中年で決まる。そして中年の心の鍵を握るのは、どうも英語で言うところの「ミッドライフ・クライシス(人生半ばの危機)」らしいのだ。なぜならば――


 ――というのが本書のメイン・テーマです。

面白そうでしょ?是非是非!手にとって読んでみて下さい。


においまで伝わってくるような様々な実体験に基づいた重い手触りを、非常に明るく乾燥したあたたかい本にまとめ上げた緑ゆうこさん、かなり凄い人なんじゃないか。*3

あとHRT(Hormone Replacement Therapy, ホルモン補充療法)についてのかなり長めのレポートもついてます。色々お得。



以下は自分用の抜粋

ミドクラ・老い対策第一条 他人と比較さえしなければ、自分の老いは早過ぎも遅過ぎもしない。

老化現象がやってきた時、他人より早いからと傷つき恐れることもなければ、遅いからといばることもない。

ミドクラ・老い対策第二条 報われなかった愛への恨みを生涯抱き続けるのは、平和な老後の一番の敵だ。

生涯抱き続ける恨みは、老後の平和の敵ナンバー・ワンだ。自分の人生の盛りのすべてを捧げた愛が報われなかったら、サラリと愛を見送ろう。*4

ミドクラ・老い対策第三条 老いの現象を「間違ったこと」とみなす限り、先へは進めない。

老いに対して怒っている間は、自分の人生の幸運をすっかり忘れてしまう。

 ミドクラ以降、姑は自分の思い通りにならないことすべてを「間違ったこと」として怒りを持って拒否してきた。視力がどんどん悪くなっていくのも間違ったことで、パーキンソン病の症状が出たのも間違ったことで、夫の手が麻痺したのも間違ったことで、彼女にとって老いの現象はすべて、曲がって育った娘と同様、あり得べからず間違ったことだった。
 これらの間違ったことに対する姑の怒りはすさまじいものだった。その怒りは何より彼女自身の内面を焼いた。彼女がそれまで持っていたプライドや誇りや母親から叩き込まれたミドルクラスの謹厳さや我慢強さなどの美徳すらも焼き尽くした。
 ここにもミドクラのもうひとつの典型が見られる。
 このような人はミドクラ以降の怒りの中で、自分の人生の幸運はすっかり忘れてしまう。ある人は健康な子供を持った幸運を忘れ、ある人は失業も経験せずサラリーマン生活をまっとうした幸運を忘れ、ある人は破産もせずに家業を続けてこられた幸運を忘れてしまう。

ミドクラ・老い対策第四条 老いた時、自分の価値を知っているのは自分だけだと認識しよう。

ミドクラ以降、自分の価値を知っているのは自分だけだ。他人から特別扱いされることを望んでいたら、老いは怖い。

 舅の従兄弟夫妻。まだ七十代だけれど、そろそろ老人ホームが気になる年齢だ。親戚や友人にも高齢者が多いから、いろんな話が入ってくる。会うたびに知り合いの話を交換する。
 家を売って老人ホームに入り、自分は家の売上げから毎月細々と費用を払っているのに、隣の部屋の老人は持ち家もない貧乏人だから、政府が全額肩代わりしている。これは平等か不平等か――と悔しがるおじいさん。
 夫をホームに預けたら二ヶ月で死んでしまった。こんなに早く死ぬと分かっていたらもっと高い施設にだって入れる金はあったのに、と繰り返し嘆く奥さん。
 最高レベルの老人ホームに入れたは良いけれど、予想以上に長生きしてしまったので家の売上げ金が尽きてしまった。肩代わりしてくれる政府は最高金額までは出してくれないから、ランクが下のホームに移されてしまう――と父親の境遇を心配する息子。日本人にも身につまされる話ばかりだ。
 こんな話をあちこちで聞かされると、従兄弟の奥さんはちょっと冷めた気分になった。そうか。お金なんて、どう転ぶか分からないわね。今から考えてもしかたがない。その時はその時だわ。
 しかし旦那の方はそうは考えなかった。夫婦二人して下手に長生きをしたらどうしよう? せっかく良い老人ホームに入居できても、家を売って得た金を使い切ったら、後はそのへんの貧乏人と同じホームに移され、「その他大勢扱い」されてしまう。それはら死んだ方がましだ!
 従兄弟の不安は知り合いの話を聞くたびにどんどん膨れ上がった。夫婦であるから住んでいる家の値段も貯金の額も同じなのだが、金が尽きた時の不安度は同じではない。どこからこの差が出てくるのか。例によってふたりのミッドライフを遡ってヒントを探してみよう。

 

 従兄弟の奥さんは、親にものすごく可愛がられていたという。子供の頃だけの話ではない。結婚してからも、三十になっても四十になっても、父親は娘をプリンセス扱いした。その父親と母親が相次いで亡くなった時、奥さんは四十代後半だった。
 この時、奥さんは生まれて初めて自分は完全に無防備だと感じたという。急に自分はただの中年の女になってしまった。もう誰もお姫様扱いしてくれない。可愛いとかきれいだとか言われた時代は本当はもうとっくに過ぎ去っていたのだけれど、自分は気がついていなかったのだ。今は街を歩いても中年の女ばかりが目につく。わたしはあの中の一人。わたしはただの中年の女。

 従兄弟の奥さんは父親を亡くした時、自分がバケツ一杯のナメクジの中に放り込まれたナメクジになったみたいな気がしたという。彼女オリジナルの表現ではない。テレビのミドクラ番組で誰かがそう言っているのを聞いて、まさしく自分のおかれた状況はその通りだと思ったのだ。
 うまい表現だと感心したり気持ち悪がっている場合ではない。いったんバケツの中に放り込まれたら、他のナメクジと区別はつかない。世の中にたくさんいる中年女の一人である。誰からも注目されない。

 

 年を取り、国費の老人ホームに入れられる。それはバケツ一杯のナメクジの一匹になることだと想像すると、すごく恐ろしい。泣きたくなる。それくらいなら死んだほうがましだと思う。しかしこの危機を従兄弟の奥さんは乗り切った。自分をこの世で特別扱いしてくれるのは親だけで、その時代は終わったのだときっぱりケリをつけた。これからは自分の価値を知っているのは自分だけだ……。
 これはエライ。四十年以上もお姫様扱いされて生きてきた人にしてはエライ。どうやってそんな風に思い切れたのか。奥さんは一度ミドクラでお姫様時代を見送り、初体験のナメクジ時代を生き抜いたから、次のナメクジ時代だって何とかなるさ、と言っているのだ。これは、自分の価値を他人に認めてもらえなければ寂しくなってしまう多くの人間にとって、貴重なアドバイスだ。
 他人から特別扱いされなければプライドが保てないとしたら、老いは怖い。老いた時、自分のプライドを支えてくれる他人はまれだろう。

 

老後のお金は大事だ。自分がその他大勢と同じ人間であることを受け入れられない人にとっては、金がなくなって国費老人になることが一番コワイ。
 しかし自分が身体のきかない老人になった時、特別扱いをされなければプライドを支えられないとしたら、金は少しあるくらいでは足りず、う〜んとなくてはならない。そうなると話は違ってくる。金だけを頼りにしていたら、いつでも不安だろう。

ミドクラ・老い対策第五条 今の自分を仮の姿と思って生きてゆく限り、本当の自分になる「いつか」は決してやってこない。

今の自分を「仮の姿」だと思って生きてゆくなら、本当の自分は見つからない。「いつか本当の自分になる」と思っている限り、「いつか」は訪れない。

ミドクラ・老い対策第六条 孤独を避けようとすれば老いはみじめ。ミドクラも老いも独りが出発点だ。

ミドクラも老いも、独りが出発点だと認識しよう。孤独を避けようとすれば、老いはみじめだ。

 まだ元気な老人が入るホームと違い、介護つき老人ホームの入居者は一日中何もすることがないのだから、娘や息子が訪問してくれるのを待つのがフルタイムのお仕事である。誰もきてくれなくたって、自分で積極的に友達を作り、習い事を楽しみ、世の中の動きにチャンネルを合わせ――なんてできる人なら介護つき老人ホームに入る必要もないわけで、入居者は老人性の痴呆症や、頭はしっかりしていても一人ではトイレにも歩いて行けない人ばかりだ。言葉も不自由で目も見えない得れば友達を作るどころではない。
 わたしの姑の隣の部屋とその向かいの部屋は、どちらも座りきり老人だ。寝たきりでないのは毎朝ケアラーがベッドからソファに運んで移してくれるからで、ソファの中でずり落ちないようにクッションとシートベルトでかろうじて支えられているが、自力では寝返りもうてないし立ち上がれもしない。夕方、スプーンで夕食を流し込まれた後、ケアラーが二人がかりで運んでベッドに戻す。寝たきりと実質上は同じだが、寝たきりの統計には入らないらしい。

 ホームで座りきり老人になった時、肉親の訪問はないよりあった方が良いけれど、それは毎日を心安らかに過ごすよすがとはならない。なぜなら、誰かが二十四時間べったりついていてくれない限り、老人には孤独な時間は必ずあるからだ。
 孤独を避けようとすればかえってそれが残りの時間を食い尽くし、一週間のトーンを決めてしまう。家族の訪問を待つことがフルタイムのお仕事になってしまったら、待つ時間は五日だろうが二日だろうが、一週間のみじめさは同じことだ。

ミドクラ・老い対策第七条 たとえ家族でも、自分以外の人間を自分の幸せの条件に数える限り、心は決して満たされない。

他人を自分の幸せの条件に数える限り、老いの心は満たされない。たとえ肉親でも、自分以外の人間に生活を満たしてもらおうと考え出したら、自分の中はいつも空っぽだ。




明晰三羽ガラス

ちなみに蛇足だがこの本に行き当たったのは斎藤美奈子さんの書評本から。Xさん、斎藤美奈子さん、緑ゆうこさんをあわせて明晰三羽ガラスと名付けたい、と書こうと思ってたんだがXさんが誰だったか忘れた。誰だ?(後で追記するかもしれんが Twitter で「女性のが論理的なんじゃね元来?」というような話がありましてその流れでね。)


*1:3冊買って親と妹にも送ろうかと思ったんだが廃盤。知財ゴロのせいでネットでも読めない(奴らはもはや文化の敵)。次善の策としてみなさまには図書館のネット予約で借りる事をおすすめします。僕もそうやって読んだ。簡単に検索→クリック一つで最寄りの図書館まで全部無料で送ってもらえます。練馬区では取り置き、貸し出し延長までクリックだけでできる。超便利。(豊中市は貧乏府の貧乏市なのでこのへん使いにくいが。)登録も簡単ですよ。グーグルで例えば「練馬区 図書館」とか「豊中市 図書館」とか自分の住んでるところで検索すれば出てくる。

*2:そんでも毎日新聞はネットで色々言われてちったぁ反省してるらしく、「分かった」とかそういう言い回しを改善していくとか、なるべくニュース・ソースを明らかにするようにしていくとかいう感じの特集が最近あった(社外なんちゃら委員のヒョーロンカみたいな人は全然分かってなかったけど、これはポジティヴな動きだ!と俺は思った)。あれはネットでは読めないのかな。ああいうのこそネットに上げとけば叩きもいくらかは緩和されるだろうに勿体ない。

*3:素晴らしい本を誉める文章であんまり他を貶すようなこと書きたくないけど上野千鶴子「おひとりさまの老後」の薄っぺらな体感リアリティのなさと対照的だな、と俺には思えた。

*4:欣注:典型的には自分の子供への愛。自分の希望通りには育たない。