具体例その2
鳩山由紀夫さんの衆院選勝利の弁をルー語変換したのがこちらです:
「asahi.com(朝日新聞社):民主党・鳩山タイプのルィポーターオーディエンス<ホールパッセージ> - 政治 by ルー語変換」(魚拓)
これを「ルァ」ルゥールで書き直したのがこちら:
●ビギニングスピーチ
インフォメーションのストルィート、ズィスタイム、ナショナルのエヴルィバディが、ジャパンの憲政史上初めての政権チョイス選挙というものをおこなって、勇気を持って、政権チェンジを選んでいただいた。そのことに、ナショナルのエヴルィバディに対して、民主党のタイプとして心からサンクスを申し上げたいとスィンクします。
すべてはこれからだと思っておりますし、シンプル民主党のヴィクトルィーだと思っておりません。やはり、ナショナルのエヴルィバディにとって、お暮らしがスィールィアス厳しくなっている。プルェゼントタイムの政治、ワットやっているんだとのアンガーが、民主党へのホープフィーリングに結びついたということもミステイクないことだと思っております。そのミーニングでは、謙虚にマイセルフどもとしては、いかにしてナショナルのエヴルィバディのディルェクションを向いた政治というものをメイクアップしていくかということがすべてだとスィンクします。
マイセルフはある意味で三つの交代ということを申し上げたいとスィンクします。一つは言うまでもありません、政権のチェンジであります。長く続いた自民党の政権に対して、ナショナルがフルェッシュな政権のチョイスをしたということであります。それは、とりもなおさずこれまでの野党というものが非力だったということが、むしろ自民党に対して反省をルィクエストするよりも、野党が非力だったということが、ナショナルの皆さんにアクシデントを招いたコーズだと理解しております。それだけに、このような状況のなかで、政権チェンジをできたというのがスィールィアス大きなミーニングがあるとスィンクします。
二つアイのチェンジは、これはオールドな政治から新しい政治へのチェンジだということも言えるとスィンクします。いわゆる政官アクトの利権にまみれた政治というものにさよならして、新しい、スィティズンがセンターとなる政治を作り出していこうということのアピアーしたと思っています。民主党としてはニューフェイスがたくさんアピアルァンスするわけでありますが、同窓生というと語弊があるかもカムトゥライトし*1ませんが、エクスペルィエンスのあるもの、そして、ニューフェイスがいかに協力して融和のインサイドで新しい政治をルェイズアップするかということが我々の大きなサブジェクトだともスィンクします。
*1:欣注:「知れ」=「come to light」?
ルァ表記の具体例
上記平野さんの文章をルー語変換したのがこちらです:
「カタカナパブリッシュについて ー プレーン啓一郎オフィシャルブログ」(魚拓)
これをさらに「ルァ」ルールに則って、おっとルゥールに則って書き直すとこうなります:
デイビフォーのブログで、「テレヴィ」と書いて、さっそく、「なんだそりゃ?」というツッコミをアクセプトする。
サーヴァントはストールィーのインサイドでも、よくこのパブリッシュをしていて、これまでにも色々言われてきたが、やめません(笑)。
ストールィーだと、例えば、大江健三郎ファミリーネームなんかも、「テレヴィ」と書いてますね。
まったくの邪推だが、「テレヴィ」がワットアワーまでも「テレビ」なのは、「日本テレビ」とか、「フジテレビ」とかが社名ごと変えなきゃいけなくなるのがイヤで、読売も産経も「テレビ」のままなのではないかと思ってみたり。しかし、邪推です。
そんなことじゃなくて、「テレビ」はもう、日本語として定着しているじゃないか、じゃあ、「ラジオ」はどうなんだ? 「ルェイディオ」とルァイトするのか? と言われると、シュアに微妙。ストールィーのインサイドで、「ルェイディオを聴いた」とルァイトするのは、さすがに抵抗がある。しかし、それならどうしてRadioheadを、みんな「ラジオヘッド」と書かないのだろう? そういえば、フォーマー、徳永インテリジェントの「ブルォークンしかけのRadio」という曲のサビが、「こわれ〜かけの〜ラディオ〜」という、パーフェクトにディッフィカルトな(?)発音で歌われていて、トピックになったことがあったっけ。rの発音はディッファルェントするけど、、フルァンス語ルィードしソートオヴな感じ。ザットも、多分、「ルェディオヘッド」とセイムで、「ラジオ」じゃカッコディッフィカルトけど、「ルェイディオ」はやりパスしだろうという、その間を取ったのでしょう。それはそれで、ムードもあったし、別にいいとスィンクするけど。
サーヴァント自身は、「定着している」というようなトークはあんまり信じない。「ヴァイオリン」だって、フォーマーは「バイオリン」だったし、サーヴァントがミドルスクール一イヤーのアワー、「ベストヒットUSA」で、VAN HALENのスペシャルエディションが組まれたエッジには、ラテ欄には「バン・ヘーレンスペシャルエディション」と書かれていた。ルォック・ミューズィシャンつながりで言うと、ツェッペリンのジミー・ペイジは、Jimmy Pageだから、1ページ、2ページのpageとセイム発音だけど、フーも「ジミー・ページ」とは書かない。
……と、まぁ、かなり恣意マークなわけで、その恣意カスタムは、単に新聞やマガズィンといったマスメディアが(「メジア」とはルァイトしませんな)、カットとニヤーなパーストにキッチンに作った基準に従わされているというだけのことなんだとスィンクする。これは、「拉致」ではなく「ら致」とか、漢字のヘンなパブリッシュにも言えることだけど。
サーヴァントのインプルェッションでは、これから少なくとも、プルェゼントタイムより多少は英語がうまくなっているだろう日本人は、英語のカタカナパブリッシュにもう少し敏感になっていくんじゃないかな。因みに、明治大正のタイムのルァイターは、ランゲージスタディーがルェディするヒューマンがメニーだったから、意外とファンデーションの発音に近いカタカナパブリッシュをしてます。プルェゼントタイムのパブリッシュの「定着」の歴史も、極浅いものだとスィンクする。
……ああ、これからもうちょっと、トークが深まるはずだったけど、なんかロングになってしまったので、スペルはまたそのうち。
明治の先人の編み出した表記「スィ」等も直してます。「wh」は「ホワ」じゃなくて「ワ」だ!*1というのも直してます。「think」「this」は「スィ」「ズィ」にしました。英語では促音「ッ」はいらない!というのは直してません。複合母音も直してません。
どうですか?LとRの違いが一目瞭然で、そんなに読みづらくもないでしょう?(ルー語変換の元々の読みづらさ以上には)
*1:whyの発音記号は[wai]ですよね。
日本語でもLとRを書き分けよう!
「カタカナ表記について」
「vi」は「ヴィ」だろうという平野啓一郎さんのこれ。全面的に同意。
でこれ読んですぐさま思って3年間ほったらかしだったんだが、私の提言はシンプル:
Rから来るのは「ルァ」「ルィ」「ルゥ」「ルェ」「ルォ」と書こう。
これだけです。(Lはそのままラ行で書く。)
日本語ネイティヴにとってLとR聞き分けるのは難しいけど、発音しわけるのは超簡単なんです。
- Rは舌を上あごにつけない。(巻き舌でも代用可。完璧に通じます。ていうかイタリアンはこれw)
- Lは日本語のラ行で代用可。(ほんとは舌をもっと伸ばす。発音するときに舌先を歯で噛むようにして練習すると良い。)
こんだけ。
ただし、(少なくとも僕の場合)いちど日本語のカタカナで覚えてしまった単語はLとRを区別しなおして脳に上書きするのはほとんど不可能。話してて“Glass? Grass? Which was which?”とか聞くハメになる。本当に悪影響。精神汚染。
明治の先人が血の滲むような努力で*1
「ファ」「フィ」 「フェ」「フォ」
「ウィ」 「ウェ」「ウォ」
「ヴァ」「ヴィ」「ヴ」 「ヴェ」「ヴォ」
「ティ」「トゥ」
「ディ」「ドゥ」
「スィ」
「ズィ」
という表記を編み出したのに倣って、書き分けましょう、是非!(以下具体例を出します。)
*1:「ウィ」「ウェ」「ウォ」は「ヰ」「ヱ」「ヲ」で良いと思うけど廃れましたね完全に。
2700億円
超久々の更新ですがネットのむこうの皆様いかがお過ごしでしょうか。最近はすっかりついった&う゛ぁっさー&たんぶらの人と(以下同文)
坂東さんのメールが回ってきたのを見て、これは広くアピールした方がいいと思い、本人の許可を得てここに転載します。若手&古手のみなさんバンバン送って下さい。
みなさま
雇用促進のため、今ものすごい勢いで、予算を使おうとしています。その1例が京都府の「京都未来を担う人づくり推進事業」です。各地方自治体でも、国としても、莫大な予算がばらまかれています。名古屋大学には益川記念館(?)ができるそうですし、京大基研の横にも益川さんに関係した(と昨日、京大副学長大西珠枝副学長がおっしゃっていましたが、基研あたりでは、益川がらみではなく農学部なども共通の建物らしい)建物が建つらしい、ともかくすごいラッシュです。東京あたりもこういう情報があるのではないでしょうか。ほとんどは、土木関係のために使われますが、雇用促進のための予算は、人材育成が主な目的ですので、せめて、このような予算については今意見をどんどん出すべきです。
おねがいです。
この際思いつくことを、ネットの意見に投稿してもらえませんか?
http://scienceportal.jp/news/daily/0906/0906152.html
https://form.cao.go.jp/cstp/opinion-0004.html
http://jein.jp/toppage.html
事情はそこに詳しく書いてありますが、「京都未来を担う人づくり推進事業」に意見をしたところ、向こうから「会いたい」といってきています。その時の電話の話では「いろいろ案を練っているので相談に乗ってほしい」ということでした。これからいろいろな企画が走りますが、たとえば、
1. 大学教育初期の支援システムを作れ
2. 教育委員会と組んで、教師養成インターンシップを作り博士教師を増やす機会を作れ
3. 中小企業等に博士が進出し始めているが、ネットワーク作りを促進して、インターン清楚を始めよ
4. 海外交流資金を作り国際化を促進する
(我々近辺では海外ポスドクは多いのですが、ほかは問題になっていて、そのための予算も組まれているらしい・・
これについては私の意見も参考に
http://jein.jp/blog-masako/134-blog-14.html
)
今回は若手支援を中心にした1つの企画に対する意見ですので、できるだけ若手がコメントをあげてほしいのです。世論を図る材料として貴重です。それと、実際にこの事業に基研のPD(無給)が応募しようと思ったら年齢制限に引っ掛かって「あきらめる」と言ってきたので「とにかく出してください」といっています。少しでも励ましになるので、よろしくお願いします。
上のアイデアは、私がいま思いついただけのものです。ほかに要望があればすぐに関係しなくても、どんどん出しておくといいと思っています。それが大きな力になるかもしれません。
本当は、物理学会キャリア支援センターの方でも、こういう動きに対して、寄進と意見を言ってほしいのですが、今回は、若手の意見が重要です。自らの問題を自ら発言しないと、ものは動きません。
若手ネットワークを使ってできるだけ意見をあげるよう呼びかけてください。私が直接いうこともできますが、皆さんが一言書いてくださることが、重要だと思うのでお願いします。期限が書きがれており、これで何通繰るあは大変重要です。せめて、NPOのネットワーク会員になっていただくには会費(1200円)がいるので、躊躇している話を聞きました、ちょっと悲しいものがありますが、今回は意見を書き込んでくださればいいので、お金はいりません。
NPOの会員は少なくても、こうして関心を持っている若者は多いのだという証拠になります。
よろしくお願いします。
坂東昌子
この1週間が勝負です。若手ネットワークにも流して、
よびかけてください。お願いします。
時間がないので(7/27のメールです)、とにかく思いつきでよいのでじゃんじゃん送って下さい。
緑ゆうこ「若いフリをするイギリス人・きまじめに老いる日本人―人生後半を幸せに生きるヒント」
若いフリをするイギリス人・きまじめに老いる日本人―人生後半を幸せに生きるヒント
- 作者: 緑ゆうこ
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2004/06
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 24回
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この本は中年にさしかかった僕の人生の後半を変える、というか手元に置いて折々に読み返す事でポジティヴな影響がある、と直観したので、みなさまにも御紹介。広く読まれるべき本だと思う。*1
内容も面白い上に本全体の体裁もとっても明晰に構造化されている。ちゃんと学問の訓練を受けたことがある人なんじゃないかなと思った。(事実と主観がごっちゃになった文章書いてるような日本の新聞記者にお手本として読ませたいくらい。*2)
序文はこんな調子。
はじめに 「ミッドライフ・クライシスから老後への長〜い道のり」――老後の心はいつ決まる?
「大人はみんな子供だった」
こう言われて反論する人はいない。万人に喜ばれるセリフのひとつだ。まさか聞いて怒る人はいない。
どんな大人に育つかは子供時代で決まる。精神分析だってカウンセリングだって、子供時代まで遡るのが常識だ。「七歳のあの時のトラウマが今、一郎の潜在意識に働きかけ……」なんて具合に。
それなのになぜ、この続きをみんなでもっと嬉しそうな顔をして言わないのだろう。
「老人は昔、み〜んな中年だった」
どんな老人に育つかは中年時代で決まる。もっとはっきり言えば、中年時代のトラウマで。
トラウマは「精神的外傷」なんて訳されているけれど、つまり心に傷を残す痛い思いのこと。そして中年とは本人が気づかないうちにはじまっているのだ。
老後は中年で決まる。そりゃそうだろう。今、流行りのテーマでもある。もちろん、中年時代の不摂生が老後にたたるとか、賢い投資で中年のうちに老後の備えを、なんて健康面や経済面の話ではない。精神的な次元の話だ。
今さら何でこんなあたり前のことを言い出すかというと、わたし自身この十五年ほどイギリスに住みながら、夫の両親であるイギリス人の舅・姑の老いをじっくり観察し、老人介護にどっぷり浸かり、日本人に負けず劣らず大変な彼らの老後につきあって一喜一憂しているうちに、ご多分にもれず「次は我が身」の心境になったからだ。
イギリス人の夫と結婚した時には、将来彼の親をイギリスで看ることになるとはまったく予想もせず、姑のちょっとした病気をきっかけにキューガーデンズ(ロンドン郊外)の彼らの家の近くに引っ越しした時も、そのまま十五年ずるずると〝他人の老い〟に縛られることになるとは思ってもいなかった。
しかし、今では、彼らの老後と日本人である自分の老いを結びつけずにはいられない。老いには国境がないのだ。
特に舅が死んでからは、目も見えず口もろくにきけず寝たきりになってしまった姑をようやく老人ホームに預け、わ、自由! と喜んだのもつかのま、姑がホームで毎日どんな扱いを受けているかを見てしまうと、「楽しい老後プランニング」なんてのんきなことは言っていられなくなった。そこでわたしなりに身近な老人を観察しつつ研究してみたら、やっぱりここに行きついた。老後の心は中年で決まる。
ではこの先どうするかというと、先行き不安になった時、人はお手本を求めると良いとされる。今風に言えば「ロールモデル」というやつだ。しかしそのロールモデルがいない。イギリスにだっていない。外面が良くても、実は内では家族が困っていたりする。
死ぬまで本人も幸せで、まわりにも迷惑をかけないステキな老人? そんな人、いたかと思うととても立派過ぎて参考にならない。そもそも九十歳を過ぎて目も耳も歯も性格も良く、頭もしっかりガンもなし――なんて遺伝子が頑丈なだけじゃないのか?
「遺伝子が頑丈なだけじゃないのか?」wwwww
確かに努力も大事だろうけれど、平凡な遺伝子を引きあてた身近な老人を見てみると、みな老化現象に悩む病持ち。病は鬱を呼び、鬱はかんしゃくや自己憐憫を呼び、自己憐憫は人を遠ざけ……ロールモデルどころか反面教師ばっかりだ。
でも、反面教師の中にもいろいろいる。同じ寝たきり紙オムツでも、心穏やかな人とみじめーな人と。脳卒中で半身不随・言語障害あり・目は見えず・大小排泄不全・そのうえ貯金ゼロの思いっきりみじめな状況でもなお心穏やかに老いていられる人がいたら、その人こそ本物のロールモデルだろう。
いろいろ観察した結果、やっぱりここに戻った――老後の心は中年で決まる。そして中年の心の鍵を握るのは、どうも英語で言うところの「ミッドライフ・クライシス(人生半ばの危機)」らしいのだ。なぜならば――
――というのが本書のメイン・テーマです。
面白そうでしょ?是非是非!手にとって読んでみて下さい。
においまで伝わってくるような様々な実体験に基づいた重い手触りを、非常に明るく乾燥したあたたかい本にまとめ上げた緑ゆうこさん、かなり凄い人なんじゃないか。*3
あとHRT(Hormone Replacement Therapy, ホルモン補充療法)についてのかなり長めのレポートもついてます。色々お得。
以下は自分用の抜粋
ミドクラ・老い対策第一条 他人と比較さえしなければ、自分の老いは早過ぎも遅過ぎもしない。
老化現象がやってきた時、他人より早いからと傷つき恐れることもなければ、遅いからといばることもない。
ミドクラ・老い対策第二条 報われなかった愛への恨みを生涯抱き続けるのは、平和な老後の一番の敵だ。
生涯抱き続ける恨みは、老後の平和の敵ナンバー・ワンだ。自分の人生の盛りのすべてを捧げた愛が報われなかったら、サラリと愛を見送ろう。*4
ミドクラ・老い対策第三条 老いの現象を「間違ったこと」とみなす限り、先へは進めない。
老いに対して怒っている間は、自分の人生の幸運をすっかり忘れてしまう。
ミドクラ以降、姑は自分の思い通りにならないことすべてを「間違ったこと」として怒りを持って拒否してきた。視力がどんどん悪くなっていくのも間違ったことで、パーキンソン病の症状が出たのも間違ったことで、夫の手が麻痺したのも間違ったことで、彼女にとって老いの現象はすべて、曲がって育った娘と同様、あり得べからず間違ったことだった。
これらの間違ったことに対する姑の怒りはすさまじいものだった。その怒りは何より彼女自身の内面を焼いた。彼女がそれまで持っていたプライドや誇りや母親から叩き込まれたミドルクラスの謹厳さや我慢強さなどの美徳すらも焼き尽くした。
ここにもミドクラのもうひとつの典型が見られる。
このような人はミドクラ以降の怒りの中で、自分の人生の幸運はすっかり忘れてしまう。ある人は健康な子供を持った幸運を忘れ、ある人は失業も経験せずサラリーマン生活をまっとうした幸運を忘れ、ある人は破産もせずに家業を続けてこられた幸運を忘れてしまう。
ミドクラ・老い対策第四条 老いた時、自分の価値を知っているのは自分だけだと認識しよう。
ミドクラ以降、自分の価値を知っているのは自分だけだ。他人から特別扱いされることを望んでいたら、老いは怖い。
舅の従兄弟夫妻。まだ七十代だけれど、そろそろ老人ホームが気になる年齢だ。親戚や友人にも高齢者が多いから、いろんな話が入ってくる。会うたびに知り合いの話を交換する。
家を売って老人ホームに入り、自分は家の売上げから毎月細々と費用を払っているのに、隣の部屋の老人は持ち家もない貧乏人だから、政府が全額肩代わりしている。これは平等か不平等か――と悔しがるおじいさん。
夫をホームに預けたら二ヶ月で死んでしまった。こんなに早く死ぬと分かっていたらもっと高い施設にだって入れる金はあったのに、と繰り返し嘆く奥さん。
最高レベルの老人ホームに入れたは良いけれど、予想以上に長生きしてしまったので家の売上げ金が尽きてしまった。肩代わりしてくれる政府は最高金額までは出してくれないから、ランクが下のホームに移されてしまう――と父親の境遇を心配する息子。日本人にも身につまされる話ばかりだ。
こんな話をあちこちで聞かされると、従兄弟の奥さんはちょっと冷めた気分になった。そうか。お金なんて、どう転ぶか分からないわね。今から考えてもしかたがない。その時はその時だわ。
しかし旦那の方はそうは考えなかった。夫婦二人して下手に長生きをしたらどうしよう? せっかく良い老人ホームに入居できても、家を売って得た金を使い切ったら、後はそのへんの貧乏人と同じホームに移され、「その他大勢扱い」されてしまう。それはら死んだ方がましだ!
従兄弟の不安は知り合いの話を聞くたびにどんどん膨れ上がった。夫婦であるから住んでいる家の値段も貯金の額も同じなのだが、金が尽きた時の不安度は同じではない。どこからこの差が出てくるのか。例によってふたりのミッドライフを遡ってヒントを探してみよう。
従兄弟の奥さんは、親にものすごく可愛がられていたという。子供の頃だけの話ではない。結婚してからも、三十になっても四十になっても、父親は娘をプリンセス扱いした。その父親と母親が相次いで亡くなった時、奥さんは四十代後半だった。
この時、奥さんは生まれて初めて自分は完全に無防備だと感じたという。急に自分はただの中年の女になってしまった。もう誰もお姫様扱いしてくれない。可愛いとかきれいだとか言われた時代は本当はもうとっくに過ぎ去っていたのだけれど、自分は気がついていなかったのだ。今は街を歩いても中年の女ばかりが目につく。わたしはあの中の一人。わたしはただの中年の女。従兄弟の奥さんは父親を亡くした時、自分がバケツ一杯のナメクジの中に放り込まれたナメクジになったみたいな気がしたという。彼女オリジナルの表現ではない。テレビのミドクラ番組で誰かがそう言っているのを聞いて、まさしく自分のおかれた状況はその通りだと思ったのだ。
うまい表現だと感心したり気持ち悪がっている場合ではない。いったんバケツの中に放り込まれたら、他のナメクジと区別はつかない。世の中にたくさんいる中年女の一人である。誰からも注目されない。
年を取り、国費の老人ホームに入れられる。それはバケツ一杯のナメクジの一匹になることだと想像すると、すごく恐ろしい。泣きたくなる。それくらいなら死んだほうがましだと思う。しかしこの危機を従兄弟の奥さんは乗り切った。自分をこの世で特別扱いしてくれるのは親だけで、その時代は終わったのだときっぱりケリをつけた。これからは自分の価値を知っているのは自分だけだ……。
これはエライ。四十年以上もお姫様扱いされて生きてきた人にしてはエライ。どうやってそんな風に思い切れたのか。奥さんは一度ミドクラでお姫様時代を見送り、初体験のナメクジ時代を生き抜いたから、次のナメクジ時代だって何とかなるさ、と言っているのだ。これは、自分の価値を他人に認めてもらえなければ寂しくなってしまう多くの人間にとって、貴重なアドバイスだ。
他人から特別扱いされなければプライドが保てないとしたら、老いは怖い。老いた時、自分のプライドを支えてくれる他人はまれだろう。
老後のお金は大事だ。自分がその他大勢と同じ人間であることを受け入れられない人にとっては、金がなくなって国費老人になることが一番コワイ。
しかし自分が身体のきかない老人になった時、特別扱いをされなければプライドを支えられないとしたら、金は少しあるくらいでは足りず、う〜んとなくてはならない。そうなると話は違ってくる。金だけを頼りにしていたら、いつでも不安だろう。
ミドクラ・老い対策第五条 今の自分を仮の姿と思って生きてゆく限り、本当の自分になる「いつか」は決してやってこない。
今の自分を「仮の姿」だと思って生きてゆくなら、本当の自分は見つからない。「いつか本当の自分になる」と思っている限り、「いつか」は訪れない。
ミドクラ・老い対策第六条 孤独を避けようとすれば老いはみじめ。ミドクラも老いも独りが出発点だ。
ミドクラも老いも、独りが出発点だと認識しよう。孤独を避けようとすれば、老いはみじめだ。
まだ元気な老人が入るホームと違い、介護つき老人ホームの入居者は一日中何もすることがないのだから、娘や息子が訪問してくれるのを待つのがフルタイムのお仕事である。誰もきてくれなくたって、自分で積極的に友達を作り、習い事を楽しみ、世の中の動きにチャンネルを合わせ――なんてできる人なら介護つき老人ホームに入る必要もないわけで、入居者は老人性の痴呆症や、頭はしっかりしていても一人ではトイレにも歩いて行けない人ばかりだ。言葉も不自由で目も見えない得れば友達を作るどころではない。
わたしの姑の隣の部屋とその向かいの部屋は、どちらも座りきり老人だ。寝たきりでないのは毎朝ケアラーがベッドからソファに運んで移してくれるからで、ソファの中でずり落ちないようにクッションとシートベルトでかろうじて支えられているが、自力では寝返りもうてないし立ち上がれもしない。夕方、スプーンで夕食を流し込まれた後、ケアラーが二人がかりで運んでベッドに戻す。寝たきりと実質上は同じだが、寝たきりの統計には入らないらしい。
ホームで座りきり老人になった時、肉親の訪問はないよりあった方が良いけれど、それは毎日を心安らかに過ごすよすがとはならない。なぜなら、誰かが二十四時間べったりついていてくれない限り、老人には孤独な時間は必ずあるからだ。
孤独を避けようとすればかえってそれが残りの時間を食い尽くし、一週間のトーンを決めてしまう。家族の訪問を待つことがフルタイムのお仕事になってしまったら、待つ時間は五日だろうが二日だろうが、一週間のみじめさは同じことだ。
ミドクラ・老い対策第七条 たとえ家族でも、自分以外の人間を自分の幸せの条件に数える限り、心は決して満たされない。
他人を自分の幸せの条件に数える限り、老いの心は満たされない。たとえ肉親でも、自分以外の人間に生活を満たしてもらおうと考え出したら、自分の中はいつも空っぽだ。
明晰三羽ガラス
ちなみに蛇足だがこの本に行き当たったのは斎藤美奈子さんの書評本から。Xさん、斎藤美奈子さん、緑ゆうこさんをあわせて明晰三羽ガラスと名付けたい、と書こうと思ってたんだがXさんが誰だったか忘れた。誰だ?(後で追記するかもしれんが Twitter で「女性のが論理的なんじゃね元来?」というような話がありましてその流れでね。)
*1:3冊買って親と妹にも送ろうかと思ったんだが廃盤。知財ゴロのせいでネットでも読めない(奴らはもはや文化の敵)。次善の策としてみなさまには図書館のネット予約で借りる事をおすすめします。僕もそうやって読んだ。簡単に検索→クリック一つで最寄りの図書館まで全部無料で送ってもらえます。練馬区では取り置き、貸し出し延長までクリックだけでできる。超便利。(豊中市は貧乏府の貧乏市なのでこのへん使いにくいが。)登録も簡単ですよ。グーグルで例えば「練馬区 図書館」とか「豊中市 図書館」とか自分の住んでるところで検索すれば出てくる。
*2:そんでも毎日新聞はネットで色々言われてちったぁ反省してるらしく、「分かった」とかそういう言い回しを改善していくとか、なるべくニュース・ソースを明らかにするようにしていくとかいう感じの特集が最近あった(社外なんちゃら委員のヒョーロンカみたいな人は全然分かってなかったけど、これはポジティヴな動きだ!と俺は思った)。あれはネットでは読めないのかな。ああいうのこそネットに上げとけば叩きもいくらかは緩和されるだろうに勿体ない。
*3:素晴らしい本を誉める文章であんまり他を貶すようなこと書きたくないけど上野千鶴子「おひとりさまの老後」の薄っぺらな体感リアリティのなさと対照的だな、と俺には思えた。
*4:欣注:典型的には自分の子供への愛。自分の希望通りには育たない。
超久々の更新ですが
ネットの向こうの皆様いかがお過ごしですか?えーなんども書いてるようにわたしゃもうTwitter/Wassrの人になってしまったので、この日記読んでた数少ない固定読者の方々(まだ居たら)移行されたし。@odakinで話しかけてくれたら応えまする。いちいち登録するのが面倒ならRSSリーダーで読む事もできるにょ。*1
そんなこんなですが、今日まで出てた理研シンポジウムがあまりに素晴らしかったのでこっちの方でちょっとその感動をお伝えしておこうかと。
まず実働部隊のリーダーのキムちゃんあるいはキムテツこと木村哲士君の作ったページ(*)を見れば分かるが、初日に一人10分!のトーク(7分+質疑応答3分)で宣伝して、参加者全員で投票→即開票。次の日からは投票で選ばれた4人+応募者から事前にオーガナイザーの選んだ3人が1時間半(1時間+質疑応答30分)のトーク、という乱暴極まりないシステム。こんなうまくいくかどうかも分からないのを敢行した勇気、そしてそれに応えたスピーカーが25人も集まったという事実。自分の属する研究コミュニティの力強さになんか凄い嬉しく力づけられる思いがしました。
て実はいろいろあって僕は肝心の初日に行けなかったのだが、まわりの声を聞くと学会より短い一人10分というのも逆にコンパクトに話が聞けると大変評判が良かった。(良いと思ったけど選ばれなかったトークは後でセミナーに呼んでもいいしな。)
えーそんで「なんでお前はトーク応募しなかったんだチキン野郎」というような趣旨の事を皆様に言われましたが、えーだってなんかちょっと怖いし、様子見て〆切直前に出そう、と思ってたらちょうど〆切が第一回阪大合宿と重なってて帰ってきたら過ぎてた、という・・・はい言い訳になりませんね。次回は是非参加したいです(反省)
まっつぉが選ばれててさすが俺様と一緒に同じ釜の場の理論を勉強した同期やな、と嬉しかった。あと阪口さんが「俺も投票では同率やったんやで。オーガナイザーやから身を引いたんや」というのをここに書いて欲しそうだったので書いておく。(これまたキムちゃんらが主催してる大阪素粒子セミナーで1月下旬に話すらしいのでチェキ。)
現象論でもこれやりません?ていうかもうオーガナイザー枠もなしで全員投票制にして「弦と場の理論と現象論と宇宙の新展開へ向けて」とかやったら超たのしそうじゃない?どう?
そんでこんな素晴らしいシンポジウムを理研の鈴木さん*2はじめオーガナイザーのみなさまと一緒に実現したキムテツ、もう一年近く無給です。研究してない訳じゃなく、論文も書き、研究会でも積極的に話し、こうして頑張っている。どういうこっちゃと。誰か金出せるポジションはないのか?*3 そういうわけで心当たりの方は是非是非。お買い得ですよ。*4 オチはなし。
南部さん小林さん益川さん!スゲー!!
誰しも予想してなかった南部さんと Kobayashi-Maskawa のノーベル賞同時受賞。もはやあたしゃウェブ日記よりは Twitter/Wassr の世界の人なのですが、これはさすがにはてなに書かねば!と思いつつも既にあっちに書いちゃって書き欲解消済。よって適当にあっちのを貼る(順不同):
南部小林益川ノーベル賞キタコレ
今日はナガオさんのセミナーの後、朝日新聞のカメラマンの方が来ていて「今日ノーベル賞発表ですけど」と言われたものの、毎年毎年いつとってもおかしくないと言われ続けてはやウン十年、どうなんすかねぇ、といいつつ接待飲み会へゴー(言っとくが接待費はスタッフの自腹カンパだ)。
6時頃朝日新聞の記者さんが来てるのを尻目に「無理なんじゃないすかねぇ」とかいいつつセミナーの接待で飲みに行ったんだが、何人かから飲み屋に電話かかってきたw
まずは今1ヶ月理研に行ってるイシイ君から電話かかってきて
イ「ノーベル賞のページ見て下さい」
欣「いや朝日新聞のサイト見たんだがまだ載ってない」
イ「http://nobelprize.org 見て下さい」
欣「いいから教えてよ南部さんとったの?」
イ「はい。小林益川も同時受賞」
欣「小林益川もだってよ(※飲み会のみなさんに対して)」
「ねーよ。絶対かつがれてるwww(※飲み会のみなさん)」
イ「じゃサカムラさん*1に変わります」
欣「サカムラさん、ほんとに?」
サ「ほんとに」
この時点で飲み会のみんな半信半疑。とりあえず僕が「南部さんといえば chiral symmetry breaking。で pion が Nambu-Goldstone boson だがその質量には quark mass が重要。そこで Kobayashi-Maskawa と一緒に quark flavor structure という事でどうだ?」と言ってようやくみんな「うーんそれならないでもないかなぁ」(それぐらい同時受賞というのは不可思議な事。)
その後ハバさんからも電話があり、ホソタニさんからも「そういうわけで飲み会には行けなくなった。あーまた電話がかかってきた」という電話があり、これはどうやら本当らしい、と。
そういうわけで断酒は10日程で止まった。祝杯
ここしばらく断酒(飲み会でもウーロン茶)してたんだが今日だけ中断して祝杯。
その後 Cabbibo たぶん今頃打ちひしがれてるだろうなぁどんな気持ちだろうなぁという話でひとしきり。(ノーベル賞は3人しか貰えず、Kobayashi-Maskawa と一緒に貰えなければ彼はもう一生貰えない。)
んで飲み会の後大学に戻ったらNHKと読売新聞も来てるwインタヴューされたので今日の深夜0時か朝5時からのニュースにチラリと映るかもしれない。誰か撮っといてうpしてくれ。(これYouTubeとかニコニコにあがりますかねぇ?と聞いたら自分でやって下さいと言われたw
しかしああいうのでうまく話すのって難しいねぇ。うまくTVっぽく話せなくて「すんませんすんません」状態であった。のでかなりキモイ人物として映っているはず。飲み会帰りで昨日言った*2アリゾナ大学のニット帽をかぶっていたので怪しさ倍増
なんつーかマスコミの人というのは既存のテンプレにうまく落とそうとするのでそれに嵌って話せないと滑らかにやりとりが成り立たない。
例えば読売新聞「今生きてる素粒子屋で一番偉大な人だと言って誰も文句を言わないと思います」といったんだが「とても偉大な人で尊敬しています」というコメントに変換されてデスクに報告されていた。
どうにも使えないインタヴューで申し訳なかったが誰でもテンプレ通り話せるわけではないのだ。
そんで tripshots さんからのコメント
「想定台本」というものが実は存在する
に対して
うん。想定台本通りじゃないと「こういう感じに言ってくれませんかねぇ」と言われて、でもそう思ってないしそういう事実もないんだからしゃーないやんけ、という
と答える。
しょうゆ(showyou)さんからは
それはひどい。ってかblogに原文載せてもいいくらいですねw
とのコメント。
いやまーそんなもんでしょ日本のメディアだし
と答える。
左近殿(sacon)からは
読売紙面でテンプレしゃべってることになってる(かもしれない)きんおだ萌え
とのコメント。
テンプレストと呼んでくれ
と答える。(意味なしw
んで
発表前に来てたのは朝日だけであった。毎年来るわけではないのでどっかで不確定情報がまわりまわるんだろうねぇ。大したもんだ
これほんと大したもんだね。
あと新聞の人は師弟関係とか教え子とか御指導いただくという関係でしかとらえられないのだな。「授業を受けられたのですか?」「議論をしてコメントをもらいました」「議論って何ですか」というわけで多分その点もそうとう変な事を言ってる事にされるものと思われる。
NHKもな。後述するかもしれないが朝日新聞の人はまともというかこっち側(というのが良い事かどうかはともかくw)っぽい雰囲気だった。インテリ系?
あと萬ちゃん(nomurayamansuke)とのやりとりは略。
キング(stand_up1973)からは
やっぱりニット帽www
とのおことば。私:
0時と5時のNHK撮っといてw(流れても1秒くらいだろうけど)
キング:
録画予約した。期待
私:
よろしく。撮れたら送ってくれ。使いにくい受け答えですんませんすんませんという感じでインタヴューの人が困ってたから流れるかは分からんけどね
あれだね。インタヴューにちゃんとキョドらずに答える、というのは訓練のいる技術だね。俺にはまだできない。
あとは御報告:
http://d.hatena.ne.jp/odakin/20070726#p1 阪大に移ってすぐ「実は阪大の素粒子も南部さんが春秋2ヶ月づつ計1年の3分の1ぐらいは居るらしいので、あらわれたらつきまとうぞー色々得る物があるかなーと今から期待している」と書いたが、
実はソレを実行して既に形になっている。8月末に出したこれ: http://arXiv.org/abs/0808.3645 これの引用 [16] Y. Nambu, private communication. というのがソレだ。ミーハー心がシンクロニシティ(なんのこっちゃ
それからヴァッサーの方でKiaさんに
インタビューされてテレビや新聞に出るなんて凄いですね!
とコメント頂く。
出るかどうかも分からんし、出ても俺がなんか偉い事したわけでもないから何一つ凄くない。自分の業績で出たい
と魂の叫び。*3
追記:余談だが(というとこのウェブ日記すべてが余談だが)「小林益川レビュー」でぐぐると一番上に去年担当したタカギ君のレヴューが出てくる(PDF)。本人は、こうなると2ちゃんとかで晒されそう、と恐れていたw
さらに追記:なんか朝7時のNHKニュースで流れてたらしいんだが誰か動画で持ってないですか?←ミーハー
*2: http://twitter.com/odakin/statuses/948081398 http://twitter.com/odakin/statuses/948081712
*3:妻に「ノーベル賞獲るって言ったじゃないか嘘つき」と責められるのもいいクスリとして頑張りますよ!私は。←追記(11/28):今頃になってやっと思い当たったがこの頃 id:kurimax に Twitter で「ノーベル賞候補なんですか」と執拗に(というほどでもないが「いやいやもーほんとぜんぜんそんなんじゃないんです恥ずかしいからやめてください」といっても止まらずw)言われたのはこの記述が原因か。「俺様はとるぜ」と言ってたのは学生の頃で(いやとはいえもちろん今でも将来ソレに繋がるような成果を出すことを諦めてはいませんよええ)、だいたいノーベル賞に匹敵するような成果は理論物理では20代に出ることが多いという事実と合わせて現在そのような成果のない現状を鑑みて「嘘つき」と言われるわけですはい。